こんばんは、宮城です。
いきなり、意味がわからないタイトルで始まりましたが、今日は僕なりの未来予測をお話していきたいと思います。
人によっては希望の話だし、
人によっては絶望の話になります。
もちろん絶望と言っても、何も手に負えないような、どうしようもない絶望ではないのでご安心を。
まあなんでこんな話をしようと思ったかというと、1月の上旬にラスベガスで行われたCESという家電の見本市に知り合いが仕事で行ったという話を聞いたのと、最近ドキュメンタリーやニュースなどでロボットの話がよく出てくるので、僕なりの未来予想をしてみようかなと思った感じです。
ちなみに、僕としては今回する話の内容を感じた時は、「絶望が見えたので、希望に向かって歩くしかないな」というある種の開き直りができた感じです。
では、さっそく本題にいきましょう。
今回のタイトルを見ると
【具なしの仏跳牆と未来予測】
まあ、未来予測はわかるとして仏跳牆ってなんだ?って話ですよね。
仏跳牆(ファッチューチョン)とは、中華の高級スープです。「あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来る」が名前の由来となっています。
で、これが未来予測とどう関係あるか?ですよね。
仏跳牆って、干しアワビ、干し貝柱、フカヒレ、金華ハム、魚の浮き袋などなど、十数種類から数十種類の食材をツボに入れて、数時間〜数日、煮るまたは蒸して作るスープです。
つまり、いろんな食材の旨味が凝縮されて1杯のスープになるわけです。
入ってる食材や値段(1壺で10万とかするお店もあります)を知らずに、お店で出されたときにどんな反応をするのか?これが重要です。
「美味しいスープだね」で終わるのか?
「どんな食材が入っているんですか?」と尋ねたり、自分で考えたりするのか?
ソムリエのように、何かに例えたりするのか?
人によって、その反応はさまざまだと思います。
じゃあ、これを情報で考えてみてください。
「美味しい」で終わる人は、提供された情報にただ反応するだけの人。
調理法や食材を尋ねたり、考えたりする人は、与えられた情報の背景やコンテキストに思いを馳せることができる人。
ソムリエのように、何かに例え表現しようとする人は、与えられた情報を自分なりの解釈で表現しようとする人です。
では、未来に思いを巡らせていきましょう。
ロボットが発達し、単純作業であれば問題なくこなすことができるようになります。そうすると、人が行っていた労働がどんどんとロボットに置き換わります。
また、ビッグデータの活用により、最適化した答えを機械が導き出してくれるようになります。
実際にレシピを考え調理してくれるロボットなどの開発は進んでいます。
そうすると例えば
文章自動生成プログラムによって、企画書や営業メールが自動的に作成される。それを受け取った側は、膨大なビッグデータをもとに、そのサービスを受けるべきかどうかを判断します。
こんなことも考えられるのです。
そうすると、すべてデータのやり取りで完結してしまうので、営業マンが不要になります。
レストランの店員や、商業施設のスタッフも多くがロボットに変わるでしょう。(SFマンガとかにもそんな感じで描かれてますよね。)
つまり多くの人は現在の仕事を失います。
よく、これからは2極化の時代だ!なんて言われてますが、本質は収入に関することではないと僕は考えています。
技術やロボット、コンピュータの発達で生産性は大きく向上します。そして、バイオ技術の発達などにより、食料の生産に関しても大きな変化が生まれてくるでしょう。
そうすれば、仕事がほとんどない人でも、現在の派遣社員の平均レベルの生活はできるんじゃないか。そう思っています。
3度の食事が出来て、暖かい家に住み、新しい洋服も着ることができる。そんな生活が仕事がなくても実現してしまうのではないでしょうか。
一見、問題なさそうに見えますよね?
でも、よく考えてみてください。
仕事をしなくても、生活することができる。
朝から晩までネットをしたり、テレビを見ててもいい。
そんな生活本当に楽しいですか?
誰かに対して価値を提供しなくても、生きることができる。
誤解を恐れずに言えば、『生かされてる』状態ではないでしょうか。
これからの2極化は収入や生活の話ではなく、
「生産する人」
「消費する人」
の2極化なんじゃないかと僕は考えます。
生産する人はロボットやコンピュータでは生み出すことができない価値を生み出していきます。だから日々生きている実感を感じます。
一方、消費する人は、生存という意味で言えば脅かされることはないけど、生かされてる感覚のため、自分が生きているという実感がない。
そんな世の中になるんじゃないかと思います。
はっきり言って、僕にとっては絶望でしかありません。
生かされてることに価値を感じないから。
では、2極化していく世の中で、どんな人が
「生産する」側に入ることができるのか?
それは、自分の頭で考え表現できる人です。
最初の仏跳牆の話で言えば、
「美味しい」で終わっていてはダメということです。
もっと世の中に対して興味を持ち、自分なりに考え、自分なりの表現をしていく。
これが、今後人間らしい生き方をしていくために絶対に必要です。
コンピューターにできることは、過去のデータから最適な答えを生み出すことだけです。
成功のパターンが30パターンあったとしたら、今回の場合、どのパターンが成功の確率が高いのかを割り出すこと。
コンピューターでは31パターン目の成功例を生み出すことはできません。
31パターンの成功例、つまりイノベーションを起こせるのは人間だけです。与えられた情報に素直に反応するだけの人にはイノベーションを起こすことはできません。
与えられた情報の背景に隠れている本質を見つけ出し、今までの知識と組み合わせ新しい価値を生み出す。
数年以内にそんな世の中になることは無いと思うので、これからの未来、人として生きているという実感を感じるために、今から「知る」「考える」「伝える」この3つを今から意識してみてはどうですか?
今日は、以上です。
これはあくまで僕の予想する未来図ですので、内容に関する責任は一切取りません笑
ちなみに仏跳牆にあえて具なしと書いたのは、アワビとかフカヒレの具が入ってると、それに対して価値を感じてしまうので、純粋なスープのみでイメージしてもらいたかったんです。