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迷宮への招待状

今日は、朝日カルチャーセンター主催の堀内進之介氏とNMB48の須藤凜々花さんの実存哲学に関する講義に参加してきた。

 

自分がカルチャーセンター主催のイベントに参加するなんて、数年前まで思ってもいなかった(やっぱりカルチャーセンターって中高年以上の人向けなイメージが。。。)

 

大学にも行ってないし、ビジネスがきっかけで哲学を学び始めた自分としては、正直哲学のカテゴライズには興味がなくて、カントやヘーゲル、ホッブス、ニーチェなど様々な哲学者や社会学者の考えを自分のビジネスや生き方に落とし込むかということを重視しているので、実存哲学という一分野の講義というのは非常に興味深かった。

内容としては、著書で語られていることをベースに実存哲学の本質に迫っていくというような内容でした。

 

ここで具体的に書いてもいいけど、あの場にいないと得られない感覚が多いので、興味がある方は著書「人生を危険にさらせ! 」を読む方がいいと思います。。

今回の講演の感想として、著書の感想にも通じる部分もありますが、
“入門編として、とてもわかりやすくもあり、非常にわかりにくいものでもあった”と私は感じました。

 

これは、講師2人の問題ではなく、聞き手である私たちの問題です。

講演タイトルに「招待」と銘打っている以上、専門用語をバンバン使っての講義にすることは出来ず、どうしても抽象的かつ本質を捉えた言葉で話しを展開せざるを得ません。

 

難しい言葉をわかりやすく語るということは、重要だと思いますし、すごくスキルが必要なことです。しかし、専門用語というのは定義がしっかりしているため認識の相違が起こりにくいという重要な面を持っています。

 

逆にわかりやすい日常語や抽象的な言葉というのは、個々人の定義が曖昧で認識の相違が生まれやすく、そして“わかった気になりやすい”ものなのです。

 

「ヤバい」「ウケる」で会話が成立してしまうような若者を想像してもらえれば、なんとなくイメージがつくかもしれません。何がどうヤバいのか、何がウケるのかを一切説明していないにもかかわらず、なんとなく共有できている気になってしまうのです。(別に否定をしているわけではないです)

 

それを今回の講演に当てはめると、
「話している言葉や内容の意味はわかった。けど、それが本当に意味していること、自分の人生にどう影響を及ぼすかは簡単にはわからない」のです。

 

今回の“招待”は、コナンや金田一などの探偵ものの物語によくある、パーティーに誘われ楽しみに行ったら、大きな事件に巻き込まれてしまった。

個人的には、そんな招待状のような感じがしました。

迷宮入してしまうのか、どうかは参加した私たち次第、
だからこの著書や講義をきっかけに、哲学書を読んでみたり、話していた内容を自分の実生活に当てはめて考えてみると世界の見え方が変わるんじゃないかと思うし、自分自身もわかった気にならず、常に自分の頭で考えることを意識していこうと改めて気付かされた講義でした。

 

最後に講師の方に対する感想を

まずは、須藤さん。
アイドルであることや名前、哲学者になりたいということは知っていたが、特にファンという立場ではなく、参加させてもらったのですが、自分の頭で考え、自分の言葉で語るという姿勢は尊敬します。(偉そうに見えたらすみません)
アイドルの立場から哲学を語ることで、アイドルファンに哲学を好きになるきっかけを与えると思うし、逆に哲学好きの人にアイドルを好きになるきっかけを与えられると思います。

ガダマーの言っていた地平融合を多くの人と起こせる移動力があると思います。(僕がビジネスで意識している部分でもあります)

これから興味を持って追いかけていきたいと思いました。

 

 

堀内さんは
哲学に限らず、いろんな情報をその人に合わせ提示し答えを導くスキルが素晴らしく、コンサルタントをしている自分には参考になる部分が多かったです。
一番すごいなーと思った部分は、須藤さんの「素」を引き出すためにあえて厳しい問いを投げかけたり、感情を表に出すように仕向けたりしていた部分でした。

あれは、アイドルという立場上、相対的になりかねない須藤さんへの助け舟な気が個人的にはしていました。そうして、主張を議論の場にあげる助けをしていたのではと勝手に関心してしまいました。

うーん。最後は講師に対するお礼文みたいな感じになってしまいましたが。。。苦笑い
哲学的な知識としては、特に目新しいものはなかったけど、実践的な学びの多い講演でした。

 

 

P.S 講演の最後に質問コーナーがあり、気になった質問の個人的な回答を
(質問内容はすごくざっくり意訳してます)

Q 後悔しない人生の過ごし方はあるのか
A 人は経験や知識を積み日々成長する存在だから、今日の自分は昨日の自分よりも良い判断ができる。だから後悔するのは当然である。個人的なスローガンは「人生すべてが黒歴史」

Q 死が怖い理由
A 時間の連続性による一貫性が人間の存在を担保しており、死はその連続性を絶ってしまうため、自分が無になることに対する恐怖だと思う。(新しいことを始める恐怖も一貫性が崩れるから怖いんだと個人的に思ってます)
あぁー文章、書き直したいけど感想だから勢いも大事だ!と自分を納得させようw

ポジティブな諦め

こんばんは、宮城です。

今日は、前置きもなく本題に行きたいと思います。

「ポジティブな諦め」

というテーマでお話ししていきます。

人間の悩みの大部分は人間関係に関わるものです。

他人の評価が気になるのも、
お金がないことで悩むのも、
仕事がうまくいかないことで悩むのも、
好きな人に告白できないのも、

結局は周りの人にどう思われるだろうか?
ということを考えてしまうから悩んでしまうわけです。

人間関係の悩みが少しでも解消されれば、多くの人は
今よりも自由な人生を生きれると思っています。

その人間関係の悩みを解消するために大切なこと

それが
「ポジティブな諦め」
を持つということなのです。

ポジティブな諦めとはどういうことか

それは・・・
「他人と完全にわかり合えることはない」
と理解することです。

言いたいことに納得してくれない時はもちろん、
言いたいことに納得してくれた時も、

完全にわかり合えることはないのです。

言いたいことに納得してくれてるのに、
わかり合えないってどういうこと?

そう思う人の方が多いと思うので、
いくつか例を出したいと思います。

例えば、食事に行って
「これ美味しいね」と家族や友人と共感することは
日常生活でよくあるシーンだと思います。

でも、人それぞれ美味しいと思ったポイントや
美味しいの度合いは違うはずです。

これは、「美味しい」という結論は一緒であっても、
その判断基準が異なるため、完全にわかり合えてる
わけではありません。

また、風邪を引いたときにつらさをわかってほしいと思ったり、
自分の仕事の忙しさや大変さを同僚にわかってもらいたいと
思う人もいるでしょう。

そのつらいという状況を、自分の過去の経験と照らし合わせて
想像し歩み寄ることはできますが、
100%完全に同じ状態を理解することはできませんよね。

極端な例を言えば、
女子高生などがよく言う

「ウケるー!」

という言葉(よく言いますよね!ね⁉︎ ね⁉︎ 笑)

これなんて、なんとなく理解し合えてるような気がしますが
個人個人で感じてることは絶対違うと思います。

人は物事を理解するときに、自分の過去の経験や知識などの
フィルターを通して理解することしか出来ない以上、
100%相手のことを「わかる」ことは出来ません。

山崎まさよしの「セロリ」じゃないですが、
「育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ」
「もともと何処吹く他人だから価値観はイナメナイ」のです。

だから、
「わかってもらいたい」「わかってもらえる」などという期待は
大なり小なり裏切られることになるので、
そういった期待を持つことは自分を悩ませ、苦しめるのです。

だから、完全にわかり合えるという幻想を
「諦める」必要があるのです。

人によっては、こういうことを言うと、
「わかり合えないなら他人と関わる意味なんてないじゃないか」
そう思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、それは違います。

僕が、「ポジティブな諦め」と記したのには意味があります。

他人と関わる意味なんてない。

そう思って内に閉じこもるのは、ネガティブな諦めです。
これでは自分も世界も何一つ発展していきません。

人とは完全にわかりあえることはないけれど、
人と関わらないと生きていけないのもまた事実です。

そして、喜びなど人生を豊かにしてくれる感情も
ほとんどの場合は人と関わることで生まれます。

わかり合えないからと言って諦めるのではなく、
それは理解した上で、自分の思いや考えなどを
工夫し、全力で相手に伝えます。

そして、それが相手に伝わるのか、理解してもらえるのは
どちらでもよくて、どちらにせよ相手がいい人生を
送ってくれるのであれば、それでいい。

同じように、自分も自分にとって良いと思う生き方をする
それは他人の評価は関係ない。

自分は自分、他人は他人と考えることが
ポジティブな諦めになるのです。

その諦めを持てれば、人間関係や土地、仕事などに縛られず
軽やかに移動することができるんじゃないかなと思っています。

嫌々ながらも、そこに縛られているのは、
きっとわかってもらえるというような
期待を持っているからなんだと思います。

そんな自分でコントロール出来ない可能性に
自分の人生を賭けるなんてもったいないです。

よく、自己啓発書などで
「他人を変えるより、自分を変えろ」
というようなことが、書かれていますが、

それは本質的に人とは完全にわかり合うことは出来ない
というところから来ているのではないかと思うんです。

わかり合えること、他人を変えようとすることを諦める

わからないからこそ、相手に興味を持つし、考えるし、
話を聞くし、自分の考えを伝えようと思う。

そしてお互いに少しでも影響を与え合い、自分の人生を豊かにしていく。

そんな人間関係が健全な人間関係だと僕は思っています。

この曲は、今回のテーマと関係はないけど、
この文章を書いたあとに、ふと聴きたくなった曲

GOOD ENOUGH / TRICERATOPS

メメント・モリ

どうも、宮城です。

気づいたら2015年も折り返しを過ぎ、残り半分をきりました。
いやぁー速いですね。。。

ブログを書くたびに成長を実感できるのですが、
なかなか時間が確保できず。。。

マイペースにでも、続けていこうと思います。

今回は最近ヘビロテ中の、「カゲロウ」という、
かわいえいじさんの名曲について書いていきたいと思います。

ただの感想文ではなく、読んでくれた方に
何か得られるものがあるように書いていきますので、
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
(今回も長くなるんだろうな・・・苦笑)

この曲はラブソングなんですが、 僕がこの曲を聴いて、
歌詞を読んで頭に浮かんできたものは愛に関するイメージや言葉ではなく

「メメント・モリ」

という言葉でした。

これは、ラテン語で 「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味で
「死を想え」なんていう風に使われることも多いです。

なぜ、ラブソングなのに 「死を想え」という意味である、
メメント・モリという言葉が浮かんできたのかというと、
この曲に登場してくる人物が
心のどこかで「終わり」を意識しているような感じを受けたからです。

終わりを意識していながらも、その時間、空間、相手を愛している。
そんな強い想いを感じました。

「花は散るからこそ美しい」

という言葉もあるように、終わりがあるからこその美学というものは
確かに存在すると僕は思っています。

終わることをどこかで意識しているからこそ「今、ここ」に
力強い「生」のパワーが表れ、それが美しさに繋がっているということです。

例えば、プロ野球選手より、実力はかなり劣る高校野球なのに
多くの人を感動させるのは、終わりがある中で精一杯「今」を生きている様子が、
ひしひしと伝わってくるからです。

そして、この歌詞で出てくる人物は心のどこかで終わりを意識しながらも、
それでも終わらせたくない、でもそれは無理であろうことも知っている。
そういった大きな矛盾を抱えてるように感じました。

歌詞の中にも

“飽きもせずに今日も僕は探していました 世界を覆す呪文を”

“ゆるやかに死んでいく瞬間のひとつひとつに 名前をつけたら忘れずにいれる?”

このように、無理だと知っていながら、
それでも何とかしたいというような矛盾した感情が出ています。
(そういう風に僕は感じました)

その願望と絶望の間で心が揺れている
その心情もタイトルのである陽炎のように
もやもやとゆらめいているんじゃないかと。

その、ゆらめいている感情の中で

この瞬間を真剣に生きる。
目の前の相手に真剣に向き合う。

僕はここに普遍的な「愛」や「美しさ」を感じました。

僕らは普段生活している中で、
いつか終わりがくるということをつい忘れてしまいます。

恋人との関係が永遠に続くと思ってるから、
思いやりを忘れてしまったり

親がずっと生きていると思ってしまうから、
忙しいを理由に会いに行かなかったり

多くの人は、今日と同じような明日が続いていくんじゃないかと
無意識に思っているはずです。

「暇つぶし」なんて言葉は、
まさに続くと思っているからこそ出てくる言葉ですよね?

終わりが来ることを強く感じていたら、
つぶすような暇なんて生まれるはずはないですから。

もちろん僕も、ずっと続くんじゃないかと思ってしまうことはあります。

でも、そんなことはないんです。

不老不死なんてものはないし、
100%の安全なんてものもない、
世界中すべての人に当てはまる正しい答えもない。

だからこそ、自分が「今、ここ」を真剣に生きることを
意識していかなければいけないと思うんです。

死ぬ間際に自分の人生を振り返って、
「うわー、つまらない人生だったなー」とか
「全然、印象に残ってないや」なんて思いたくないですよね。

そのためには、「今、ここ」を真剣に
自分自身として生きていかなければいけません。

さっきも言ったように世界中すべての人に当てはまる
正しい答えなんてものはないんです。

答えは、自分自身で作るものです。

自分の生き方は正しかったのか、
その答え合わせは死ぬまでできないでしょう。

生きている間に答えなんてものは見つからないんです。

自分自身が「正しい」と思った生き方をしていくしか、
後悔しない生き方は無いと僕は思っています。

カゲロウという曲から、こんな事を学ばせてもらいました。
もちろん、こんな意図で曲も詞も書いてないと思いますが…苦笑

僕はツイッターで、
「本当に美しいものを、言葉や写真で表現するのは、
その美しさを汚す行為なのかもしれない」
と書きました。

これは、カゲロウを聴いて感じたことです。

だからこそ、ただの感想文で終わらせず、
僕が誰かの役に立つように文章を書くことが、
汚してしまった作品への贖罪のようなものだと思っています。

この文章を読んで、何かを感じてくれた人、 何も感じなかった人も
ぜひ、かわいえいじさんのカゲロウを聴いてみてください。

僕が感じた、感覚が正しいかなんて、どうでもいいんです。
ただ、素晴らしい曲と歌詞で、あなた自身が何かを感じ取ってください。

もちろん僕もできるだけ、作り手の意図から離れたくないので、
何回も繰り返し聴きましたし(単純に曲が好きってのもありますが)
歌詞も、ノートに2回、パソコンで2回書き写して、
どんなことを考えながら書いているのか、できるだけ想像するようにはしていました。

気づいたら4日間で100回超えてましたね・・・笑

 

スクリーンショット 2015-07-04 10.07.54

それでも、あなたが感じた感想があなたにとって正解だと思うんです。
大事なのは、自分の人生にどう活かすか、どんな価値を見出すかですから。

僕のこの文章が、新しい可能性を開くそんなきっかけになれば嬉しいです。

【ニシノアキヒロ】という国

どうも、宮城です。

今日は、キングコング西野さんについてのお話をしていきたいと思います。

なぜ、急に西野さんの話なのか。

過去の記事やツイッターでも、西野さんの企画について書いているので
そこを見ていただいている人には、あまり違和感はないかもしれません。

ただし、今回は企画の紹介ではありません。

きっかけは、1つのツイートでした・・・

ひとり言のようにつぶやいたものに、西野さんが反応をしてきました。

たまに僕のツイートを西野さんがリツイートをしていただくので、
反応してくれたこと自体には全然驚かなかったのですが、

気になったのは

「 ギャハハハ(^-^) 」

という反応です。

 

これは、

「コイツ、面白いこと言うな〜」というような好意的な意味なのか、
「変なヤツ」というある意味、小バカにしているのか、

意図が読み取れなかったため、
(個人的には、小バカにされた感じの印象を受けましたが、、、)

僕の発言の真意を書こうと思ったわけです。
真意を理解されず、小バカにされたままだと嫌ですからね笑

ちなみにこれから書く内容は、今後、個人でビジネスを行っていく際に
他から抜きん出るために必要な考え方だと僕は思っているので、

自分でビジネスをしている人
自分でビジネスをしようと思っている人

も読んでおくといいんじゃないかと思います。

ちなみに、この考え方を思いついた時に何人かに話をしたのですが、

個人でビジネスをしていて、年収1000万以上ある人に

「これおもしろいね!」

って好意的な反応をもらったので、役には立つと思ってます。

そして、金額の多寡が、その人の価値とは決して思っていないですが、
個人のビジネスであまり成果が出ていない人にこの話をしたときには
「ちょっとよくわからないや」という反応をされたので、

説明がわかりにくい場合は、質問してくれればいいですが、

難しいな、抽象的すぎるな、と思う場合は
がんばって理解してみるのもいいんじゃないかなと思います。

では、本題にいきましょう。

まず、西野さんの最近の活動をいくつかあげていきましょう。

・キングコングでの漫才
・2000人規模の独演会開催
・絵本制作
・絵本制作のためのクラウドファンディング企画
・CDジャケットデザイン
・テイラーバートンという舞台の脚本、演出、出演
・おとぎ町ビエンナーレという個展開催
・サーカスという大人のための学校の発案者

などなど、多岐にわたる活動をしています。

ここで
「芸人のくせに」絵本なんて書いてとか、一般的にみて「芸人」
という職業の定義の外にある活動をすると批判されることがありますし、

なんでこんなにいろいろなことをやってるんだと
思われたりすることがあるようです。

ここで、「あるようです」と書いたのには当然理由があって、
僕としては、その指摘に対してあまり実感がわかないからです。

例えば、

ワンピースが好きな人がドランゴンボールを読んで批判されるでしょうか。

されませんよね。

きっと「漫画が好きなんだな」と思われて終わりです。

ここが非常に重要なポイントで、

ワンピースが好き、ドラゴンボールが好きというのは、
「漫画好き」で括ることができます。
(抽象度という言葉を知っている人は、抽象度で考えてください)

視野が狭いか、極端な専門性を身につけた場合は、
個別具体的に物事をみるようになってしまうため、
この「括る」ということができなくなってしまうことがあります。

その結果、
「こうあるべき」という考えが強く固定され、「芸人のくせに」
という発言が生まれてくるんじゃないかと、

そう僕は考えています。

【ニシノアキヒロ】という国

ここで、タイトルの【ニシノアキヒロ】という国について
お話していきましょう。

僕が、西野さんの活動が一貫しているように見える理由になります。

「なんで芸人のくせにいろいろなことをやってるんだ」
という批判。

これは

「芸人」という国に「ニシノアキヒロ」という国民がいるという

考えがあるから生まれる発想です。

もちろん、比喩として使ってるので、批判してる人が文字通りそう考えてる
わけではないですよ。

これを読んでるあなたも、少なからず
「日本人はこういう人間だ」
「中国人はこういう人間だ」
という思い込みがあるはずです。

これは、比較をすること、枠組みを作ることでしか
物事を区別できない脳の仕組みを考えると仕方のないことです。

もちろん、僕にもあります。

たとえば、「店員はこうあるべき」という
枠組みを持っていて、そこから外れた行動をすると

「ちょっと、態度わるいなー」

と思うことなどが。

だから、西野さんの多岐にわたる活動を批判している人
(内容ではなく、活動自体をね)は

西野さんを、芸人国の非国民だと思ってるわけです。

そりゃー非国民ですから、批判されちゃいますよね。苦笑

逆に、

芸人なのに、いろいろなことをやってすごいなー
と思っている人は

「国外に出て、活動をするなんてすごいな」と思ってるわけです。

留学をする人に「すごいね」って言ったり、
帰国子女をすごい人だと思ってしまうような感覚に近いですかね。

一方、僕は西野さんの活動を【ニシノアキヒロ】という国として
見ているわけです。(ニシノ国とでもしましょうか。笑)

「面白いこと」「新しいこと」をニシノ国の憲法として、

・キングコングでの漫才
・独演会
・絵本制作

こういった活動を「都市」として考えます。

日本も「東京」「京都」「大阪」など都市ごとに特色はあるけど、
同じ日本ですよね。その特色に対して批判をすることもありません。

僕はそういう視点で西野さんの活動をみているので、
いろんなところに手を出していたとしても、一貫して見えるのです。

ここまでが、僕が西野さんの活動が一貫して見えるという
理由についてのお話でした。

ここからは、少しビジネス寄りの話になります。
興味のある人は引き続きお付き合いください。

ニシノ国の外にいる人々、つまり西野さんに興味がなかった人が
ニシノ国に興味を持つきっかけは人それぞれです。

漫才をきっかけに興味を持つ人もいれば、
絵本をきっかけに興味を持つ人もいる。

外国の人が
京都から日本に興味を持ったり、
アニメから興味を持ったり、
日本酒から興味を持ったり

入り口はひとそれぞれなのと同じです。

価値観が多様化しつつも、遠くの人と簡単につながれるため、
コミュニティが閉鎖的になりやすい現代では、

・閉鎖的なコミュニティ内で圧倒的な人気を得る
・広い範囲に移動できる力を身につける

このどちらかの力がないと、個人のビジネスで
長期的に成功することは難しいと思っています。

西野さんは、意識的か無意識的かはわかりませんが、
後者の選択をしているわけです。

そして、僕がオススメするのも後者の方です。

圧倒的な人気を得ることを狙うなんて、それこそ
人生をかけた博打みたいなもので、

「私には、これしかないんだ」という強い意志と覚悟が
ないならオススメできません。

なので、後者の

「広い範囲に移動できる力を身につける」が
圧倒的にオススメなのですが、

移動できる力を得るためには、自分の得意な分野の他に
さまざまな分野に興味を持つことが重要です。

これはイメージできますよね。

そして、さらに重要なのが、
「移動させる」力です。

この移動させる力がないと、

多岐にわたる活動が独立している状態のままになります。
昔の日本のように、国になっていない状態です。

国になっていないと、何が問題なのか。
それは人の移動が起こりにくいことが問題なのです。

西野さんの活動でいうと、

キングコングの漫才が好きな人は、西野さんの描く「絵本」や
「サーカス」という企画には興味がない。

西野さんの絵本が好きな人は「漫才」や「独演会」に興味がない。

こんな状態になります。

それでは、最終的に大きな範囲に影響を及ぼすことができません。
全てが局地戦になるわけです。

負ければ終わりだし、
そこで勝っても、何の発展性もありません。

そんな状況にならないために
「移動させる力」が必要になるのです。

漫才で興味を持ってくれた人を、絵本にも興味を持ってもらうようにする。
絵本に興味を持ってくれた人を、漫才に興味を持ってもらえるようにする。

こういう「移動させる」ことを意識して活動することが、
これからのビジネスではとても重要なポイントになってきます。

どうすればいいのか、興味がある人は少し考えてみるといいと思います。

「アップル」とか「ディズニー」みたいなブランド力のある会社を
見てみるといいと思いますよ。

ちょっと長くなりすぎたので、ここまでにします。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

場を支配するテンション

どうも、宮城です。

今回は、あまり間隔をあけずの更新となりました。

自分を褒めてあげたい気分です。

今回のテーマは

「場を支配するテンション」というテーマで
お届けしていきたいと思います。

世の中には、いろいろな情報やサービス、商品が溢れています。

その中で自分を見てもらうためには、当然のように注目を
集める必要があります。

その注目を集めるために必要なのが、今回お話する
“テンション”です。

テンションといっても、一般的にテンションが高い、低いという
言葉で使われているような、うるさいとか、おとなしいという
意味ではありません。

“緊張感”

という意味で考えてもらえればと思います。

緊張感があると注目が集まる、イメージが沸かない方もいるかも
しれませんので、例を挙げたいと思います。

例えば、夜の住宅街、自分の部屋で本を読んでいたら、
突然「おめぇーふざけんなよ!!!」という叫び声が、

あなたは、自分の部屋の中にいて、自分の周りの環境は
何も変わっていないのに、外の様子が気になって仕方ないですよね。

他にも、街中を歩いてると、サングラスをかけた、
いかにもという強面の大男が正面から歩いてきました。

ほぼ間違いなく自分には関係ない人だろうけど、緊張感が高まり
目が離せませんよね(見てないフリはするでしょうけど)。

このようにテンションが高い、つまり緊張感があると
目が離せなくなってしまうのです。

そして、テンションの高さというのも、重要なのですが、
それよりも重要なのはその“テンションを切らない”ということです。

ここでも例を挙げてみましょう。

バラエティ番組慣れしていない、新人の芸人をイメージしてみてください。

話が振られた瞬間、ここぞとばかりに目立とうとフルスイング、
周りはハラハラした目で動向を見つめています。

この状態は、テンションが高い状態ですね。

でも、それがダダスベりした瞬間、テンションが切れ
注目されていたものが一気に離れていきます。

一発屋芸人なんかもそうです。

ネタをやっている最中は注目を浴びるけれど、ひな壇などでの
トークがお粗末なので、テンションが続かず、だんだんと
注目されなくなっていきます。

ブームが去ったお店などもそうですよね。

あれだけ注目を浴びていたのに、蜘蛛の子を散らすように
みんなが去っていく。

そうならないようにするためには、常に高いテンションを維持し続ける
必要はありませんが、テンションが切れないようにコントロールする
必要があるのです。

テニスやバドミントンのラケットのガットのようなイメージで
考えてもらうとわかりやすいかもしれません、

テンションを強くすると、返しは強いけれど、その分切れやすくもあります。

ラケットのように、かんたんに張り替えられるようなものではないので、
状況や場に合わせて、テンションをうまくコントロールしていくことが
注目を持続させるためには、非常に重要になってくるのです。

特に注目を浴びやすい商品やサービスは、注意が必要です。

なぜなら最初が一番テンションが高く、徐々に落ちていきます。

これはCDの売り上げ枚数の推移からもイメージがつくと思いますし、
最近の例で言えば、キングコングの西野さんのクラウドファンディングで
資金を募り絵本を作る企画を見ても明らかです。

“【世界初】キングコング西野が、常識破りの手法で絵本『えんとつ町のプペル』を作る http://wesym.com/ja/projects/nishino/st/z4ed1vlpnjr/ ”

この企画では開始5日目にして、目標金額の半分である300万円を
突破しましたがそこから約2週間経過して、現在は360万円弱の
支援金額となっています。

もちろん、この結果自体は素晴らしいと思っていますが、周りのテンション
という意味では落ちてきているというのは間違いないでしょう。

ここからは、テンションを切らずに、いかに山を作っていけるか、
その仕掛けが重要になってくると思います。

今までは、西野さんのファンや、お笑い好きの人がメインとなって
この企画に参加してくれていたでしょう。

そこにはある程度、企画の情報自体は届いていると思います。

これからは切り口を変え、別の層が魅力に感じるような届け方を
していくことや、今まで届かなかった層に、いかに届けるか、

参加を躊躇していた人に、いかに面白がって参加をしてもらうか、
そんな工夫が必要になってくるんじゃないかと思います。

そのためにテンションをコントロールする必要がある。

ある意味テンションとは、“相応さ”に近いものがあります。

例に挙げた、強面の大男も「恐そう」と思うのに相応しい状態
だったからこそ、緊張感を維持することができたわけですし、

注目を浴び続けるアイドルも、それに相応しい容姿や行動を
しているから注目を浴び続けられるわけです。

その場や状況にとって、どういう状態が相応しいのか、
これから先、どういう場や状態にしていきたいのか、
これを考え続け、いかにその状態にのめり込めるのか、

それがテンションを維持し、コントロールするためには
非常に重要なことだと僕は考えています。

今回は西野さんの企画を例に“企画”というもので説明していきましたが、
これは“商品“や俳優やタレントなどの“人”で注目を浴びる必要が
ある場合も、基本的な考え方は同じだと思います。

大きな枠での捉え方としては、いままでに説明してきたものを
ベースとして、あとは自分の状況に合わせて調整をしていただければ
いいのではないかと。

今回は以上です。

質問などがあれば、コメント欄やTwitter(@starjet_kota)に
いただければ、できる限り返答したいと思います。

【セカンドクリエイターとトランスレイター】

どうも、宮城です。

また、少し更新の間隔があいてしまいました、、、

Twitterでは、頻繁につぶやいてるので、よかったらフォローお願いします。
(アカウント:@starjet_kota)

最近、僕のTwitterでは勝手にキングコングの西野さんの企画を宣伝させていただいてるんですが、

その西野さんが面白いことを言っていたので、今日はそれについての僕なりの考察を話していきたいと思います。

 

で、どんな発言をしていたのかというと

“SNSやYouTubeやニコ生やツイキャスの登場で活動(発信)しやすくなった時代が今で、純粋なお客さんは減り、セカンドクリエイターが増えた為、クリエイターに求められるのは「お客さん」と「セカンドクリエイター」両方に刺さるコンテンツだと僕は考えております。”

 

この発言の中にセカンドクリエイターという言葉が出てきていますが、
西野さんの定義では、

“お客さんなんだけど、表現に参加したい人”

これがセカンドクリエイターとのことです。

ラジオのハガキ職人みたいな人がセカンドクリエイターのようですね。

では、なぜセカンドクリエイターに届くようなコンテンツ作りが必要なのか?

僕なりの解釈を交えながら話していきたいと思います。

まず重要になってくるのが「お客さんが減ってきた」ということです。

そもそも、お客さんが減っていなければ、セカンドクリエイターに刺さるコンテンツを作る必要性もないですからね。

お客さんが減った理由、もちろん景気の後退も理由としてあるでしょうが、それよりも趣味が多様化したことが大きな原因になっていると僕は考えています。

 

インターネットの発達で自分の好きな情報だけを速く深く知ることができるようになったため、興味あることだけを追求しやすい環境になったのです。

そうすると、必然的に新しい出会いが減る。

お笑い好きはお笑いの情報には詳しくなるけど、それ以外の情報には疎くなる。

音楽好きは音楽の情報に詳しくなるけど、それ以外の情報には疎くなる。

こんな状況になっているのです。
だってそうですよね?
自分が好きなものの情報をかんたんに知ることができるのに、わざわざ、あまり興味のない情報を知ろうなんて思いませんよね。
今までであれば、テレビや雑誌などから、自分にとって興味が薄い情報も入ってくることが多かったけれど、テレビや雑誌離れも進み、そんな機会も少なくなっています。

自分にとって興味が薄い情報は入ってこなくなった、その結果新しいお客さんが集まりにくくなり、相対的にお客さんの数が減る原因となっているのです。
じゃあ、どうすればいいのか?

そんな時に登場してくるのが西野さんの言うセカンドクリエイターの存在です。

セカンドクリエイターが関わり、情報を発信するようになると、クリエイター本人だけでは届かなかった人に情報が届くようになります。
なぜ、そうなるのか。

(できれば、自分なりに理由を考えてみてから先をお読みください)




どうですか?考えました?笑




じゃあ、僕の考えを言います。

 

その理由は、
“切り口や視点が変わることで、違う層に届くようになる”

というのが理由だと思っています。

例えば、キングコングの西野さんを例にお話しすると、本人が発信することで情報を届けることができる層の多くは「お笑い」が好きな人です。それ以外の趣味を持つ人には中々届けることはできません。

 

でも、セカンドクリエイターが関わってくると状況は変わります。

なぜかというと多くの人は、趣味や好きなものは1つでは無いからです。

「お笑い」と「音楽」が好きな人もいれば

「音楽」と「映画」が好きな人もいる

「ビジネス」と「哲学」が好きな人もいる。

SNSのフォロワーは友人だけでなく、趣味趣向などに共感したつながりもあります。
例えば、お笑い好きな人にしか届かなかった西野さんの情報が

「お笑い」と「音楽」が好きな人に届き、その人がそれを自分なりの言葉で広めていったとします。

そうすれば、「音楽」が好きな人にも届くようになりますよね。

このようにクリエイターが発信するコンテンツをセカンドクリエイターが間に入り広めていくことにより、ただ情報が広がるだけではなく、伝わりやすい表現、興味を引きやすい表現で届けることができるようになるのです。

僕がセカンドクリエイターに届けることが大切という話を聞いたときに思いついたのは、細かい話を除けばこんな感じのことです。(違ってたらどうしよう苦笑)

で、ここで今回のタイトルにあるもう一つの言葉

「トランスレイター」の話をしていきましょう。

トランスレイター=翻訳者のことです
(翻訳者と書かなかったのは、英語で揃えたかったからだけです笑)

僕は、今後ビジネスをしている人にとって重要になる能力は「翻訳能力」だと前々から感じています。
ここで言う、翻訳能力とは、外国語を日本語に翻訳するを能力じゃなく、
“切り口を変えて伝える能力”です。

それぞれの業界には専門用語や、その業界特有の常識があります。

これは仕事だけでなく、趣味の世界も同じです。
少し極端な言い方をすれば、
それぞれ違う言語で話しているようなものです。

自分と同じ言語を話す人だけに語っていては、多くの人に届けることができない。

だから、同じ商品やサービス、企画を視点や切り口を変えて別の言語を話している人に伝えることがとても大切になるのです。

そうすることで、より多くの人に届けることが可能になります。

そして切り口を変えて伝えることを意識することで、自分でも気づかなかった魅力に気づくこともできますし、
お笑いからビジネスを語ったり、ビジネスから音楽を語ったり、完全なオリジナルを生むことが難しい現代で自分なりの色を出していくことができるのです。
これが僕の考える翻訳能力です。

最後に、キングコングの西野さんがこの夏、東京で行う個展「おとぎ町ビエンナーレ」の中で、セカンドクリエイター時代というテーマでワークショップを行います。

ぜひ、
それにも参加してみてください。
http://wesym.com/ja/projects/nishino/

僕も当日参加します!!

参加してくれた方、西野さんの企画の応援をしてくれた方に、ワークショップ参加後、僕なりの感想や解説を加えたレポートを配ろうかと考えてます。

欲しい人がいればTwitterの方に連絡いただけると嬉しいです。

【夢は人に託せないけど、夢の一部は託すことができる】

どうも、宮城です。

久しぶりのブログ更新になってしまいました。

ここ最近はFacebookも利用せず、ほぼTwitterで発信をしています。

ブログやFacebookだと、どうしても長く重たい内容になってしまうので、Twitterのような文字制限がある方が軽い感じで投稿できるので自分には合ってるのかもしれないですね。

 

で、そんな中ブログを更新してるわけですが。。。苦笑

 

それは、単純に文字数がTwitterじゃ足りなすぎることを書きたかったからです。

まあTwitterで短い文章での発信を慣らした僕ですから、ブログとはいえ、そんなに長くなりませんので(きっとね)、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

(え、前置きが長い??)

 

では、早速本題へ入っていきましょう。

TwitterやYahooニュースを賑わせ、数多くの炎上を生み出してきたキングコングの西野さんですが、現在こんな企画を行っています。

 

【世界初】キングコング西野が、常識破りの手法で絵本『えんとつ町のプペル』を作るhttp://wesym.com/ja/projects/nishino/

 

演劇界や漫画界では当然のように行われている分業制ですが、絵本の世界では1人の作者が全てを行っているのが常識のようで。(ここは業界に詳しくないので、お許しを)

 

そのことに疑問に思った西野さんが、分業制にて絵本を作ってやろう!という企画です。しかも、ただ分業制で実施するわけではなく、日本のトップクラスのスペシャリスト達を集めて絵本を作るようです。

 

そうなってくれば、当然制作費はかさみますよね。

 

だから、その制作費をクラウドファンディングで集めようという試みです。

 

と、概要をざっくり説明しましたが、単純に宣伝だけをしたかったわけではないので、この企画についてより詳しく知りたい方、この祭りの神輿を一緒に担ぎたい方はこちらから確認してみてください。

http://wesym.com/ja/projects/nishino/

で、何が言いたいのか?そしてなぜ西野さんの企画を紹介したのかというと、

 

【夢は人に託せないけど、夢の一部は託すことができる】

ということを言いたかったからです。

 

これを読んでいるあなたも、子どもの頃から、今までたくさんの夢を描いてきたと思います。

 

サッカー選手になりたい
パイロットになりたい
アイドルになりたい
社長になりたい
お金持ちになりたい
ミュージシャンになりたい

 

人それぞれ夢がある(あった)と思います。

 

でも、現実はその全てを叶えられるわけではないですよね?

パイロットになるためには、視力制限があったり、
アイドルになるためには、生まれ持った容姿も大きく影響してくる。

 

もちろん絶対に叶わないとは思っていませんが、現実的に考えると物理的に不可能なことがあるのも事実です。

 

それで夢を諦めた人、そして、夢を描くことを止めた人も多くいると思いますし、そういう人もたくさん見てきました。

 

 

でも、夢というのは「一つの職業のことなんでしょうか?」

 

僕は違うと思っています。

夢というのは、もっと漠然とした「概念」のようなものだと思っています。

寝ている時に見る夢もけっこう漠然としたものですよね?

 

でも、多くの人は子どもの頃から周りに「何になりたいの?」と言われ続けたことによって

特定の職業=夢

になってしまっているんだと思います。

 

だから、就職した段階で多くの人はその夢を失ってしまう。

でも、「夢=概念」と考えれば、そこにたどり着くための道は1つではないわけです。

 

今回取り上げている西野さんの例で言うと、

 

お笑い芸人になるというのが夢であれば、芸人として活動、

舞台でコントや漫才をする
バラエティ番組に出演する

など、限られた道しかありません。

 

でも、西野さんは

「世界で一番面白いやつになりたい」
そんな夢を持っているんです。

 

こういう夢を設定することができれば、何でもできるわけです。

漫才やコント、バラエティ番組の出演はもちろんですが、絵本を書いたり、街を作ったり、独演会のチケットを手売りしたり、

もしかしたら、会社を作ってビジネスをすることだって「面白い」と思ったらできるわけです。

 

それこそ可能性は無限大。

1つ失敗したって道が閉ざされるわけではありません。

 

じゃあ、次の面白いこと考えよー

と軽々動き出すことができるんです。

 

例えば、これを読んでいるあなたがサラリーマンだったとしても、新しく「概念」としての夢を設定すれば、それに向かって一気に可能性が開かれるわけです。

 

サラリーマンだろうが、フリーターだろうが、主婦だろうが関係ありません。

自分の出来るところから夢を叶え始めることが出来るんです。

 

そして、夢を「概念」とするなら、自分が共感する人を応援することで、夢の一部を託すことも出来るのです。

 

 

例えば、多くの人を喜ばせたいというのが夢だった場合、自分1人で出来ることには様々な制約があります。

 

でも、自分が共感出来るような活動をしている人を支援することで、その輪を大きくすることが可能になります。

 

自分の夢を叶えるための行動をすることも、誰かの夢を応援することも最初はとても小さく、目に見えて現実を変えるものではないかもしれません。

 

でも、その一歩がなければ永久に変わることもないのです。宝くじを買わなければ永遠に当たることがないのと同じです。

 

もし、今よりも充実した毎日を生きていきたいなら、今からでも遅くありません。新しい夢を描いて進んでみてはいかがですか?

 

 

最初は誰かの夢を応援するという小さなところから始めても構わないと思います。

特に西野さんの企画なんかは、その過程もしっかりと見せてくれるし、世の中に対して大きなインパクトを生み出すと僕は思っています。

 

そこに関わることで、自分の夢を見つめる機会にするのもいいんじゃないかと思いますよ。

 

【世界初】キングコング西野が、常識破りの手法で絵本『えんとつ町のプペル』を作るhttp://wesym.com/ja/projects/nishino/

 

P.S 結局長くなってしまいました・・・しかも西野さんの宣伝みたいになっちゃってますね。苦笑

諦められる贅沢

Igiveupkitty僕のTwitter(@starjet_kota)でAKBについて語っていたら、AKBファンと思われるフォロワーが何名か増えたので、欲を出して今日もAKB絡みのネタを。(と、言ってもAKBについて語っているのかどうかは最後まで読んで判断ください笑)

なんだかんだで毎年注目されている(らしい)AKB総選挙、10代や20代前半の子に対して、明確に順位をつけるって結構残酷なことだという人もいますが、僕個人的な感覚からすると、すごく羨ましい経験をしているなと思います。

なぜ羨ましいのか、

それは諦めることができるからです。

なんで諦めることができると羨ましいのか。

諦めるというと、かなりネガティブな意味で捉える人が多いと思いますし、僕も昔はそう思っていました。

でも、実際は違ったのです。
諦めるを辞書で調べると、

“希望や見込みがなくてやめること”
“断念すること”

と書かれています。

僕を含め、ほとんどの人が考えている意味とも一致してると思います。

ここで気になるのが、
“諦”
という中途半端に難しい漢字です。笑

これを調べてみると、

明らかにする、見きわめるという意味で「諦視」
本質をはっきりと見きわめるという意味で「諦観」

という言葉で使われています。

つまり、“諦”という字には、
「しっかりと見る」という意味が込められています。

AKB総選挙の話に戻すと、これはAKBのセンターを決める投票です。

一人一票ではないので、一番センターに相応しい人がセンターになるとは限りませんが、一人のファンの力ですべてをひっくり返せるくらいの投票数でもないので、まあ限りなくセンターに相応しい人が選ばれるんだと思います。

アイドルや芸能界に憧れて入るような人たちですから、センターとは言わずとも、いい位置でスポットライトを浴びたいとは思っているでしょう。

そんな人たちに対して、はっきりと数字で何位と示されるわけです。(しかも順位が発表されない圏外もあるとかないとか、、、)

それだけじゃなく、握手会とか番組収録などで常に比較競争されるわけです。

つまり嫌でも自分の立ち位置を意識させられる。

どれだけガンバっても、越えられない壁がある。
やれることはやっているはずなのに、届かない。
「努力は報われる」と言われたりもするけど、報われない経験を山ほどするわけです。

自分を何度も何度も見つめ、周りを見て気づかされるのです。

「あぁ〜ダメなのかもしれない、、、」と

先ほど諦には「しっかりと見る」という意味が込められていると言いました。

自分を成長させ、自分を追い込んで、それでもダメだったとき、本当の意味で諦めることができるのです。
もちろん自分を徹底的に見つめて、その上で
「まだイケるはず」
と諦めないのも素晴らしいことだと思います。

大切なのは、“自分の現実を見つめるられたのか”です。

世の中の多くの人は、大してガンバってもいない、中途半端にやってガンバってるつもりになっているなど、本気で何かに打ち込んだ経験が少ない人だと思います。

もちろん、あなたのせいというより、社会全体のせいと言えるでしょう。

つまり、“諦めること”も“諦めないこと”もできていないのです。

そして、「もしあの時◯◯だったらな〜」とありもしないifの可能性に死ぬまで思いを馳せ続けるのです。

僕から見るとそれは、自分が起きようとすれば起きれるのに、植物人間のようにただ生かされ続けてるだけの存在に思えます。
諦めるって、その時は正直かなり辛いですよね。

でも、諦めるという経験があるから、自分が出来ることが見えてくるのです。

「自分はしょせん才能もない人間だ」というネガティブなことが言いたいわけではないです。

もっとポジティブな意味で、「これなら出来る」という意味での自分が出来ることが見えるということです。

だって考えてみてください。
芸能人にもなれるかもしれない
大金持ちにもなれるかもしれない
総理大臣になれるかもしれない
プロサッカー選手になれるかもしれない
アイドルになれるかもしれない
社長になれるかもしれない
ボクサーになれるかもしれない
漫画家になれるかもしれない




思いつく限りの可能性がすべて平等にあったらどうですか。
何をしたらいいか選べなくて、何もできなくなりませんか。

選択肢が限定されてくるからこそ、自分に出来ることが明確に見えてくるのです。

60歳になって、プロボクサーになる。
壮大な夢だとは思いますが、今の現実が見えてませんよね。

総選挙で何年も下位なのに、毎年総選挙で1番を目指します!と宣言する。
かっこいいとは思いますが、それよりも、自分が出来ることをしっかり見つけそこに力を注いでいった方が応援してくれるファンを喜ばせることができますよね。

本来の意味で諦められるくらい全力を尽くせているのは、とても贅沢なことなんです。

AKBのセンターのような1つのポジションは取れなかったかもしれません。

でも、その人の人生はそれが目的ではないですよね。それはあくまで目的を達成するための1つの手段でしかなかったはずです。

あなたにできることは、中途半端にいつまでもAKBのセンターのようなポジションを目指すことではなく。今、自分のいる場所から、出来ることを見つけていくことです。

なんか、AKBのことを例に上げ続けたらメンバーへのメッセージみたいになってしまいましたね苦笑(まあ、メンバーが読むことはないでしょうが)

こんな長文を最後まで読んでくれた方も、小さいころと夢の形は変わってしまったかもしれませんが、現在地から諦めても後悔しないような生き方をしていただけると僕は嬉しいです。

どうせ最後は死ぬのに、いつまでも力を温存してたらもったいないじゃないですか。

人間の構造上、ぽっくり死ぬまで休まず走り続けることはできませんから。

「努力」=「報われる」ではない

65d97ba6-sAKBの総選挙の速報もあったので、それに絡めたネタを。

AKBの高橋みなみさんが「努力は必ず報われる」とよく使っている(らしい)

「努力は必ず報われる」これは個人的に間違いだと思っています。

その理由をお話ししていきます。

まず、「努力」という言葉がわからないという人はほとんどいないと思います。

しかし、よく考えると「努力」というのは、力を尽くして励むことという意味ですが、わかるようでいまいちピンと来なくないですか。

100メートルダッシュ10本を努力というなら、基準があってわかりやすいですが、力を尽くして励むって、人によってだいぶ違いますよね。

例えば、アイドルをRPGのキャラとして考えたとき、レベル10の人と、レベル5の人では力を尽くしたとしても、倒せる敵が違うのは想像出来ますよね。

そんな中、AKBの総選挙のように限られたポジションを複数の人で奪い合うときに努力が必ず報われるなんてことは無いんです。

また、「報いる」という言葉についても考えてみましょう。
なんとなくのニュアンスで使っている人も多いと思いますが、

「報いる」とは、受けた事に対して、それに見合う行為を相手に行うことを言います。

この意味の中で重要なのは「見合う」という言葉です。

つまり、「つりあう」ということですね。

叶えたい夢や目標に対してつりあわなければ、いくら努力をしても報われないのです。

言い方を変えるのであれば、「相応しく」なきゃいけない。
相応しくなれば報われる、ということです。

つまり「努力」=「報われる」ではなく、

「努力」をした結果、「相応しく」なることができれば、「報われる」ということです。

この「相応しい」は非常にポイントです。

「相応しく」あるためには、何になりたいのか、どうありたいのか、どうあるべきなのか、などが明確になっていなければいけません。

100万円を稼ぎたい
いい大学に入りたい

という目標が努力してもなかなか叶わないのは、目標自体が明確であっても、「相応さ」が明確になっていないから。

自分の夢や目標を持つこと、それを叶えるために努力することは素晴らしいことだと思います。だからこそ、今一度「相応しさ」についても考えてもらいたいと思います。