僕のTwitter(@starjet_kota)でAKBについて語っていたら、AKBファンと思われるフォロワーが何名か増えたので、欲を出して今日もAKB絡みのネタを。(と、言ってもAKBについて語っているのかどうかは最後まで読んで判断ください笑)
なんだかんだで毎年注目されている(らしい)AKB総選挙、10代や20代前半の子に対して、明確に順位をつけるって結構残酷なことだという人もいますが、僕個人的な感覚からすると、すごく羨ましい経験をしているなと思います。
なぜ羨ましいのか、
それは諦めることができるからです。
なんで諦めることができると羨ましいのか。
諦めるというと、かなりネガティブな意味で捉える人が多いと思いますし、僕も昔はそう思っていました。
でも、実際は違ったのです。
諦めるを辞書で調べると、
“希望や見込みがなくてやめること”
“断念すること”
と書かれています。
僕を含め、ほとんどの人が考えている意味とも一致してると思います。
ここで気になるのが、
“諦”
という中途半端に難しい漢字です。笑
これを調べてみると、
明らかにする、見きわめるという意味で「諦視」
本質をはっきりと見きわめるという意味で「諦観」
という言葉で使われています。
つまり、“諦”という字には、
「しっかりと見る」という意味が込められています。
AKB総選挙の話に戻すと、これはAKBのセンターを決める投票です。
一人一票ではないので、一番センターに相応しい人がセンターになるとは限りませんが、一人のファンの力ですべてをひっくり返せるくらいの投票数でもないので、まあ限りなくセンターに相応しい人が選ばれるんだと思います。
アイドルや芸能界に憧れて入るような人たちですから、センターとは言わずとも、いい位置でスポットライトを浴びたいとは思っているでしょう。
そんな人たちに対して、はっきりと数字で何位と示されるわけです。(しかも順位が発表されない圏外もあるとかないとか、、、)
それだけじゃなく、握手会とか番組収録などで常に比較競争されるわけです。
つまり嫌でも自分の立ち位置を意識させられる。
どれだけガンバっても、越えられない壁がある。
やれることはやっているはずなのに、届かない。
「努力は報われる」と言われたりもするけど、報われない経験を山ほどするわけです。
自分を何度も何度も見つめ、周りを見て気づかされるのです。
「あぁ〜ダメなのかもしれない、、、」と
先ほど諦には「しっかりと見る」という意味が込められていると言いました。
自分を成長させ、自分を追い込んで、それでもダメだったとき、本当の意味で諦めることができるのです。
もちろん自分を徹底的に見つめて、その上で
「まだイケるはず」
と諦めないのも素晴らしいことだと思います。
大切なのは、“自分の現実を見つめるられたのか”です。
世の中の多くの人は、大してガンバってもいない、中途半端にやってガンバってるつもりになっているなど、本気で何かに打ち込んだ経験が少ない人だと思います。
もちろん、あなたのせいというより、社会全体のせいと言えるでしょう。
つまり、“諦めること”も“諦めないこと”もできていないのです。
そして、「もしあの時◯◯だったらな〜」とありもしないifの可能性に死ぬまで思いを馳せ続けるのです。
僕から見るとそれは、自分が起きようとすれば起きれるのに、植物人間のようにただ生かされ続けてるだけの存在に思えます。
諦めるって、その時は正直かなり辛いですよね。
でも、諦めるという経験があるから、自分が出来ることが見えてくるのです。
「自分はしょせん才能もない人間だ」というネガティブなことが言いたいわけではないです。
もっとポジティブな意味で、「これなら出来る」という意味での自分が出来ることが見えるということです。
だって考えてみてください。
芸能人にもなれるかもしれない
大金持ちにもなれるかもしれない
総理大臣になれるかもしれない
プロサッカー選手になれるかもしれない
アイドルになれるかもしれない
社長になれるかもしれない
ボクサーになれるかもしれない
漫画家になれるかもしれない
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思いつく限りの可能性がすべて平等にあったらどうですか。
何をしたらいいか選べなくて、何もできなくなりませんか。
選択肢が限定されてくるからこそ、自分に出来ることが明確に見えてくるのです。
60歳になって、プロボクサーになる。
壮大な夢だとは思いますが、今の現実が見えてませんよね。
総選挙で何年も下位なのに、毎年総選挙で1番を目指します!と宣言する。
かっこいいとは思いますが、それよりも、自分が出来ることをしっかり見つけそこに力を注いでいった方が応援してくれるファンを喜ばせることができますよね。
本来の意味で諦められるくらい全力を尽くせているのは、とても贅沢なことなんです。
AKBのセンターのような1つのポジションは取れなかったかもしれません。
でも、その人の人生はそれが目的ではないですよね。それはあくまで目的を達成するための1つの手段でしかなかったはずです。
あなたにできることは、中途半端にいつまでもAKBのセンターのようなポジションを目指すことではなく。今、自分のいる場所から、出来ることを見つけていくことです。
なんか、AKBのことを例に上げ続けたらメンバーへのメッセージみたいになってしまいましたね苦笑(まあ、メンバーが読むことはないでしょうが)
こんな長文を最後まで読んでくれた方も、小さいころと夢の形は変わってしまったかもしれませんが、現在地から諦めても後悔しないような生き方をしていただけると僕は嬉しいです。
どうせ最後は死ぬのに、いつまでも力を温存してたらもったいないじゃないですか。
人間の構造上、ぽっくり死ぬまで休まず走り続けることはできませんから。