ポジティブな諦め

こんばんは、宮城です。

今日は、前置きもなく本題に行きたいと思います。

「ポジティブな諦め」

というテーマでお話ししていきます。

人間の悩みの大部分は人間関係に関わるものです。

他人の評価が気になるのも、
お金がないことで悩むのも、
仕事がうまくいかないことで悩むのも、
好きな人に告白できないのも、

結局は周りの人にどう思われるだろうか?
ということを考えてしまうから悩んでしまうわけです。

人間関係の悩みが少しでも解消されれば、多くの人は
今よりも自由な人生を生きれると思っています。

その人間関係の悩みを解消するために大切なこと

それが
「ポジティブな諦め」
を持つということなのです。

ポジティブな諦めとはどういうことか

それは・・・
「他人と完全にわかり合えることはない」
と理解することです。

言いたいことに納得してくれない時はもちろん、
言いたいことに納得してくれた時も、

完全にわかり合えることはないのです。

言いたいことに納得してくれてるのに、
わかり合えないってどういうこと?

そう思う人の方が多いと思うので、
いくつか例を出したいと思います。

例えば、食事に行って
「これ美味しいね」と家族や友人と共感することは
日常生活でよくあるシーンだと思います。

でも、人それぞれ美味しいと思ったポイントや
美味しいの度合いは違うはずです。

これは、「美味しい」という結論は一緒であっても、
その判断基準が異なるため、完全にわかり合えてる
わけではありません。

また、風邪を引いたときにつらさをわかってほしいと思ったり、
自分の仕事の忙しさや大変さを同僚にわかってもらいたいと
思う人もいるでしょう。

そのつらいという状況を、自分の過去の経験と照らし合わせて
想像し歩み寄ることはできますが、
100%完全に同じ状態を理解することはできませんよね。

極端な例を言えば、
女子高生などがよく言う

「ウケるー!」

という言葉(よく言いますよね!ね⁉︎ ね⁉︎ 笑)

これなんて、なんとなく理解し合えてるような気がしますが
個人個人で感じてることは絶対違うと思います。

人は物事を理解するときに、自分の過去の経験や知識などの
フィルターを通して理解することしか出来ない以上、
100%相手のことを「わかる」ことは出来ません。

山崎まさよしの「セロリ」じゃないですが、
「育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ」
「もともと何処吹く他人だから価値観はイナメナイ」のです。

だから、
「わかってもらいたい」「わかってもらえる」などという期待は
大なり小なり裏切られることになるので、
そういった期待を持つことは自分を悩ませ、苦しめるのです。

だから、完全にわかり合えるという幻想を
「諦める」必要があるのです。

人によっては、こういうことを言うと、
「わかり合えないなら他人と関わる意味なんてないじゃないか」
そう思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、それは違います。

僕が、「ポジティブな諦め」と記したのには意味があります。

他人と関わる意味なんてない。

そう思って内に閉じこもるのは、ネガティブな諦めです。
これでは自分も世界も何一つ発展していきません。

人とは完全にわかりあえることはないけれど、
人と関わらないと生きていけないのもまた事実です。

そして、喜びなど人生を豊かにしてくれる感情も
ほとんどの場合は人と関わることで生まれます。

わかり合えないからと言って諦めるのではなく、
それは理解した上で、自分の思いや考えなどを
工夫し、全力で相手に伝えます。

そして、それが相手に伝わるのか、理解してもらえるのは
どちらでもよくて、どちらにせよ相手がいい人生を
送ってくれるのであれば、それでいい。

同じように、自分も自分にとって良いと思う生き方をする
それは他人の評価は関係ない。

自分は自分、他人は他人と考えることが
ポジティブな諦めになるのです。

その諦めを持てれば、人間関係や土地、仕事などに縛られず
軽やかに移動することができるんじゃないかなと思っています。

嫌々ながらも、そこに縛られているのは、
きっとわかってもらえるというような
期待を持っているからなんだと思います。

そんな自分でコントロール出来ない可能性に
自分の人生を賭けるなんてもったいないです。

よく、自己啓発書などで
「他人を変えるより、自分を変えろ」
というようなことが、書かれていますが、

それは本質的に人とは完全にわかり合うことは出来ない
というところから来ているのではないかと思うんです。

わかり合えること、他人を変えようとすることを諦める

わからないからこそ、相手に興味を持つし、考えるし、
話を聞くし、自分の考えを伝えようと思う。

そしてお互いに少しでも影響を与え合い、自分の人生を豊かにしていく。

そんな人間関係が健全な人間関係だと僕は思っています。

この曲は、今回のテーマと関係はないけど、
この文章を書いたあとに、ふと聴きたくなった曲

GOOD ENOUGH / TRICERATOPS

諦められる贅沢

Igiveupkitty僕のTwitter(@starjet_kota)でAKBについて語っていたら、AKBファンと思われるフォロワーが何名か増えたので、欲を出して今日もAKB絡みのネタを。(と、言ってもAKBについて語っているのかどうかは最後まで読んで判断ください笑)

なんだかんだで毎年注目されている(らしい)AKB総選挙、10代や20代前半の子に対して、明確に順位をつけるって結構残酷なことだという人もいますが、僕個人的な感覚からすると、すごく羨ましい経験をしているなと思います。

なぜ羨ましいのか、

それは諦めることができるからです。

なんで諦めることができると羨ましいのか。

諦めるというと、かなりネガティブな意味で捉える人が多いと思いますし、僕も昔はそう思っていました。

でも、実際は違ったのです。
諦めるを辞書で調べると、

“希望や見込みがなくてやめること”
“断念すること”

と書かれています。

僕を含め、ほとんどの人が考えている意味とも一致してると思います。

ここで気になるのが、
“諦”
という中途半端に難しい漢字です。笑

これを調べてみると、

明らかにする、見きわめるという意味で「諦視」
本質をはっきりと見きわめるという意味で「諦観」

という言葉で使われています。

つまり、“諦”という字には、
「しっかりと見る」という意味が込められています。

AKB総選挙の話に戻すと、これはAKBのセンターを決める投票です。

一人一票ではないので、一番センターに相応しい人がセンターになるとは限りませんが、一人のファンの力ですべてをひっくり返せるくらいの投票数でもないので、まあ限りなくセンターに相応しい人が選ばれるんだと思います。

アイドルや芸能界に憧れて入るような人たちですから、センターとは言わずとも、いい位置でスポットライトを浴びたいとは思っているでしょう。

そんな人たちに対して、はっきりと数字で何位と示されるわけです。(しかも順位が発表されない圏外もあるとかないとか、、、)

それだけじゃなく、握手会とか番組収録などで常に比較競争されるわけです。

つまり嫌でも自分の立ち位置を意識させられる。

どれだけガンバっても、越えられない壁がある。
やれることはやっているはずなのに、届かない。
「努力は報われる」と言われたりもするけど、報われない経験を山ほどするわけです。

自分を何度も何度も見つめ、周りを見て気づかされるのです。

「あぁ〜ダメなのかもしれない、、、」と

先ほど諦には「しっかりと見る」という意味が込められていると言いました。

自分を成長させ、自分を追い込んで、それでもダメだったとき、本当の意味で諦めることができるのです。
もちろん自分を徹底的に見つめて、その上で
「まだイケるはず」
と諦めないのも素晴らしいことだと思います。

大切なのは、“自分の現実を見つめるられたのか”です。

世の中の多くの人は、大してガンバってもいない、中途半端にやってガンバってるつもりになっているなど、本気で何かに打ち込んだ経験が少ない人だと思います。

もちろん、あなたのせいというより、社会全体のせいと言えるでしょう。

つまり、“諦めること”も“諦めないこと”もできていないのです。

そして、「もしあの時◯◯だったらな〜」とありもしないifの可能性に死ぬまで思いを馳せ続けるのです。

僕から見るとそれは、自分が起きようとすれば起きれるのに、植物人間のようにただ生かされ続けてるだけの存在に思えます。
諦めるって、その時は正直かなり辛いですよね。

でも、諦めるという経験があるから、自分が出来ることが見えてくるのです。

「自分はしょせん才能もない人間だ」というネガティブなことが言いたいわけではないです。

もっとポジティブな意味で、「これなら出来る」という意味での自分が出来ることが見えるということです。

だって考えてみてください。
芸能人にもなれるかもしれない
大金持ちにもなれるかもしれない
総理大臣になれるかもしれない
プロサッカー選手になれるかもしれない
アイドルになれるかもしれない
社長になれるかもしれない
ボクサーになれるかもしれない
漫画家になれるかもしれない




思いつく限りの可能性がすべて平等にあったらどうですか。
何をしたらいいか選べなくて、何もできなくなりませんか。

選択肢が限定されてくるからこそ、自分に出来ることが明確に見えてくるのです。

60歳になって、プロボクサーになる。
壮大な夢だとは思いますが、今の現実が見えてませんよね。

総選挙で何年も下位なのに、毎年総選挙で1番を目指します!と宣言する。
かっこいいとは思いますが、それよりも、自分が出来ることをしっかり見つけそこに力を注いでいった方が応援してくれるファンを喜ばせることができますよね。

本来の意味で諦められるくらい全力を尽くせているのは、とても贅沢なことなんです。

AKBのセンターのような1つのポジションは取れなかったかもしれません。

でも、その人の人生はそれが目的ではないですよね。それはあくまで目的を達成するための1つの手段でしかなかったはずです。

あなたにできることは、中途半端にいつまでもAKBのセンターのようなポジションを目指すことではなく。今、自分のいる場所から、出来ることを見つけていくことです。

なんか、AKBのことを例に上げ続けたらメンバーへのメッセージみたいになってしまいましたね苦笑(まあ、メンバーが読むことはないでしょうが)

こんな長文を最後まで読んでくれた方も、小さいころと夢の形は変わってしまったかもしれませんが、現在地から諦めても後悔しないような生き方をしていただけると僕は嬉しいです。

どうせ最後は死ぬのに、いつまでも力を温存してたらもったいないじゃないですか。

人間の構造上、ぽっくり死ぬまで休まず走り続けることはできませんから。