【音楽なんてものはある人にはクズ、ある人にはゴールド。それでいいんだ】

これはヴァン・ヘイレンのギタリスト、
エドワード・ヴァン・ヘイレンの名言です。
(ロックの名言TOP10みたいな企画とかにはだいたい載ってたりします)

 

これって、人間関係で悩んでる人にはぜひ読んで考えて欲しいんですが、

 

たとえば、
「ロック」と「クラシック」、「J-POP」の曲って枠組みが違うだけで、優劣をつけるものじゃないですよね?

 

ヴァン・ヘイレンが好きな人にとってはヴァン・ヘイレンの曲は価値が高いし、
AKB48を好きな人にとっては、AKBの曲の方が価値が高い。

この話はすぐに理解してもらえると思うんです。

 

だけど、「あなた」と「他人」が違うことに関しては勝手に優劣をつけてしまったりしますよね?

 

あの人と比べて自分はダメだ、とか。
仕事で注意されたから自分はダメだ、とか。
恋人がいないから自分はダメだ、とか。

 

「あなた」と「他人」は音楽で例えるともともとジャンルが違うわけですよ。それなのに優劣をつけるって矛盾してませんか?

こういう話を人にすると毎回のように、「でも、仕事で注意される人と注意されない人、成績がいい人、悪い人がいるじゃないですか?」って反論を受けるんですが、

 

 

これは優劣ではなくて、場面が違うだけ。

 

アイドルフェスに、ゴリゴリのハードロックバンドが参加しようとしても、
「いや、ここはそういう場ではないので」って当然言われますよね?
それと同じです。

 

別の例えで言うなら結婚式で新郎新婦よりも、出席した友人が目立っちゃダメなのと同じこと。

 

大切なことなので繰り返しますが、

優劣の問題ではなく、場面に合わなかっただけ。

 

 

自己否定に走りがちな人は、どうしても一つの場面で優劣を付けがちです。

仕事が出来る、出来ない。
恋人がいる、いない。
お金がある、ない。
成績が良い、悪い。

この一つの場面で自分や他人を評価してしまうから、かんたんに優劣の話にすり替えてしまってるわけです。

 

そんなのは優劣なんかじゃなくて、ただの結果の違いなだけですから。

【音楽なんてものはある人にはクズ、ある人にはゴールド。それでいいんだ】

人によって価値観が違うのは当然です。
それはあなた自身の価値には何も関係ありません。

その場面で現在出ている結果が自分の望むものでない場合は、望む結果が出るように改善していけばいいだけです!

 

ということで、最後にヴァン・ヘイレンの曲を
「Not Enough」

マインドの重要性を知るには、学生スポーツを見るべし!

こんにちは、宮城です。

 

今日は、Evernoteを整理してたら出てきた

去年の夏高校野球を見て感じたことを書いた文章をアップします

 

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夏の高校野球を地方大会から何試合も観る機会があって、そこで感じたこと。
それはやっぱり最後はマインドの差が結果にあらわれるということ。

地方大会で9回に奇跡の大逆転を起こした、星稜高校

(これも諸事情で中継を観てました)

 

大差をつけられている状態であっても、ベンチには諦めムードが感じられませんでした。その結果奇跡の大逆転。よく野球は9回ツーアウトからと言いますが、それを体現するような出来事でした。

 

その星稜高校、実はメンタルトレーナーがついているんです。

星稜高校のピッチャーは打たれて点数を取られても、苦笑いは浮かべるが落ち込んだり、諦めたり、不安がったりする様子はみられなかったのが、本当に印象に残っています。

 

一方、大量リードしながらも逆転負けをしたチームや他の試合で同じように大量のリードをしながらも逆転負けをしたチームの選手なんかは1点ずつさが縮まっていくごとに、表情が固くなったり、不安そうな表情をするようになってました。

 

実際にはリードしてるのに、その選手たちの頭の中ではすでに逆転されているような。。。そんな印象さえ感じました。

正直、大会を勝ち進んできた実力があるチーム同士の対決だと、そこまで大きな戦力差があるとは考えにくいです。ましてやプロじゃなく高校生同士の対決ならなおさら。

 

そんな中で差が生まれるポイントはやっぱりマインドの差です。

 

ビジネスでもスポーツでもマインドが大切と良く言われるから、多くの人はその重要性を認識してると思う。でも、とはいいつつ「やっぱり能力の差でしょ」と思ってる人が大多数なんじゃないかなと感じています。

 

そんな人にはぜひ高校野球の試合中継を観て欲しいと思う。マインドが与える影響の大きさを客観的に気づく絶好の機会じゃないかな。そう思います!

 

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個人的にはスポーツとしてはサッカーの方が好きですけど、

常に選手が動いてるサッカーよりも野球の方が、

選手一人ひとりの表情が見えるので、マインドの差がつぶさに観察できると思います。

オススメのテレビ番組〜こじつけ力を鍛えよう〜

こんばんは、宮城です。

今日は最近オススメの番組について紹介します。

それは、NHKの「Next world」というドキュメンタリーです。
(5話中3話は放送済みですが、NHKオンデマンドとかでも観れるので)

 

人生を充実した楽しいものにしていくには、
世の中にあるいろんな情報を収集しつつ、
それを自分の関係あること、興味のあることに関連付けて考える

「こじつけ力」

を鍛えていくと世の中の物事に対して興味深くみることができます。

そのこじつけ力を鍛えていくのにドキュメンタリーというのは、非常に有効な教材になると思います。

 

で、この「Next World」はテクノロジーが自分たちの生活にどう影響していくのかを検証していく番組です。

 

テレビというメディアの性質上、希望の話でまとめるしかないと思いますが、負の側面もあることを考えて、そこから自分は何をすればいいかを問うのも重要なんじゃないかと思うんです。

 

ターミネーターみたいに、ロボットと人間の戦争ってことは考えなくていいと思うけど、例えば、アメリカで考えるとGDPは伸びているのに、就業人口の増加がそれに追いついていないのは、少なからずコンピューターやロボットなどのテクノロジーの影響がある。

 

 

日本でもセルフレジが増えているのは、顧客の利便性だけじゃなくて、お店側としても、人件費のカットが見込めるから採用しているわけで。。。
最近話題のGoogle翻訳も、この技術によって通訳の仕事や現地のコーディネーターの仕事が減少する可能性は大きくある。

 

これ以上話しても、絶望が大きくなるだけなので・・・苦笑

 

あくまで僕の考えですが、
「人と同じことをしてても必要とされる時代は終わりを迎える」
と思います。
それは事務の仕事をするなとか、コンビニのバイトをするな。とかではなく、より「自分」ってものを見せたり、自分が付け加えることの出来る価値について考えていく必要があるってことです。

きっと今よりも哲学的な観点に近い「人間とは」というのが問われる時代になっていくんじゃないかなと個人的には思います。

 

あくまで僕の視点での未来予測ですが、自分の視点で未来を予想してみるのも、

こじつけ力を鍛えるいい練習になると思います。

http://wired.jp/special/2015/nextworld/

【リスクを楽しめ】

こんばんは、宮城です。

今週、高校サッカーの決勝を観てきました。

 

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いやーサッカーはやっぱり観てると興奮してきますね。

 

実は、この文章はノートパソコンを使って試合の会場で書いてます。

周りからみるとサッカーメディアなどの記者だと思われてるかもしれませんね笑

 

ただ、めちゃくちゃ手が冷たいので、すごく入力が遅くてイライラしてます苦笑

 

書きたいこともあって、文章も頭に浮かんでいるのに手がついてこない。

きっと文章の最後の方は自宅やカフェなど温かいところで書いてると思います。

 

と、余計な話はここまでにして、早速本題に行きましょう。

 

 

今日は、リスクについてのお話です。

 

 

リスクについて、すごく重要なことを木坂健宣さんというマーケターが言ってたんですが、

 

 

“多くの人は「危険」と「リスク」の区別がついていない”

と、

これは個人的にすごく腑に落ちるところだったのでそのことについて話していきます。

 

 

サッカー場でこのことを書いているのにも、ちゃんと意味があるんで安心してください。

 

別に記者風な感じを装いたいわけじゃないですから笑

 

 

まず、「危険」と「リスク」の違いを説明しないといけませんね。

 

僕の中の定義では危険を別の言葉で言い換えると「ピンチ」です。

だから「ピンチ」と「リスク」の区別で考えると理解しやすいかもしれません。

 

例えば、サッカーで相手の選手2名がボールを持って自分のゴールに向かってきたとします。

そして自分のチームは1人の選手とゴールキーパーしかいない状況です。

いわゆる、失点のピンチです。

 

この時に取れる判断としては、

・相手選手のボールを奪いにいく

・一定の距離を保ちながら、相手の動きを遅らせて、味方選手が戻って来る時間を稼ぐ

・相手がもう1人の選手にパスを出すことを予想して、オフサイドトラップをしかける(わからなければ無視していいです)

こんな選択肢があります。

画像のキャプテン翼のゲームみたいな感じです笑

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複数の選択肢がある状態。

この中から何か1つを選択しますよね?

 

ピンチを回避するために、ボールを奪いに行くという選択をした場合は

 

「抜かれる」というリスク
「もう1人にパスを出される」というリスクが増えます。

 

味方が戻る時間を稼ぐために、一定距離を保つという選択をしたとします。

この場合は、

相手がどんどんゴールに近づくわけですから、「シュートが決まりやすくなる」というリスクが増加するのです。

 

これはどの選択をしたとしても同じです。
ピンチを回避するために取った選択は、新たなリスクを増加させます。

 

実はこれは「チャンス」のときにも同じことが言えます。

 

またサッカーで例えますが、
先ほどとは、逆の立場、攻撃側で考えてみましょう。

 

得点する確率を高めるにはできる限り、ゴールに近づけばいいことはイメージできますよね?

 

しかし、ドリブルでゴールに近づく、つまり「チャンス」をものにする確率を高めようとすれば、それに伴い相手にボールを取られるリスクが時間と共に増加します。

 

逆にそのリスクを避けるために、早くシュートを打てば、キーパーが防いだり、ゴールの枠から外れたりと得点できる確率を下げるわけです。

 

つまり、
「ピンチ」「チャンス」と「リスク」常に相関関係にあるということです。

 

大きなピンチを回避するためには、大きなリスクを伴うし、

 

大きなチャンスをものにするためには、大きなリスクを伴う。

 

これは避けられないことです。

 

恋人を作るためには、告白して断られるリスクを背負わなければいけない。

 

自分の好きなことをして生き続けるためには、孤独になるリスクを背負わなければいけない。

 

病気を治すためには、副作用がある薬を飲むというリスクを背負わなければいけない。

 

この相関関係については何となく理解していただけたでしょうか?

 

でも、これだけだと、今回のタイトルである

「リスクを楽しめ」というのはイマイチ腑に落ちませんよね?

大きなチャンスや大きなピンチを作らなければ、リスク自体も小さくて済むじゃないかと。

 

ここからは、僕の仮説なのですが、

よく
“人生は良いことと、悪いこと、トータルでプラスマイナスゼロになる”

とか

“人生の運の総量は決まっている”

みたいなことが言われてたりしますよね?

 

これに対して僕はずっと疑問を持っているんです。

 

だって、運のいい人は常に運がいいように見えるし、運が悪そうな人はずっと運が悪いように見えますから。

 

絶対に50:50ではない。

 

で、ここで僕の仮説なんですが、決まってるのは運の総量ではなく、

“リスクの総量”なんじゃないかと。

 

『人生万事塞翁が馬』じゃないですが、人生という長い時間軸で考えた場合、リスクの総量はどの選択をしても同じなんじゃないかと。

 

たとえば、
好きな人に告白して、それがうまくいった場合。

短い時間軸で考えると一見、良いことだけのように思いますが、

『異性の友達と気軽に遊びに行けない』

『自分の時間が減る』

『あまり乗り気じゃない場所にもデートで行かなきゃいけない』

などなど、長期的に見れば、さまざまなリスクを抱えてるわけです。

 

他にも
第一志望の一流企業に就職できた場合

『優秀な社員が多いから、自分がいつかリストラされるかもしれない』

『馬車馬のように働かされるかもしれない』

『希望の部署に配属されないかもしれない』

などのリスクを抱えます。

 

逆に、人生最悪の経験だと思ってたことが、自分の人生を良い方向に変えるきっかけになった。ってこともよくありますよね。

 

つまり、短い時間軸で考えると、1つの選択に対してリスクの高低や「良い」「悪い」の判断はしやすいけど、長い時間軸で考えると、実は「良い」も「悪い」も存在しない。

 

となれば、短い時間軸でどちらが失敗の可能性が低いのか、安全策を選択するのは、必ずも最善の策ではないのです。

よくドラマなどで、リスクの低い、安全策の選択をして生きてきた人。いわゆる普通の生活を過ごしてきた人が死ぬ時にチャレンジをしてこなかったシーンなどが描かれますよね?

それと同じです。

 

一見リスクが高かったとしても、自分が真剣になれる方を選択すればうまくいく場合は多いです。

 

重要なのは選択ではなく、選択した後、『どのような結果を掴み取るか』ですから。

 

極端な話を言えば、どんな選択をしても、無理やり正解に持っていけばいいわけです。

 

もちろん、選択をした後、できる限りリスクを回避するための準備や行動は必要ですよ‼︎

でも、もし人生という時間軸で考えるとリスクの総量が変わらないとするならば、人生の中にあるリスクというダンスミュージックを楽しんで終わればいい!

“リスクを楽しめ”
“リスクに興奮しろ”

そんな感じで生きればいいと思います。

今日は以上です。

僕のこの行動だって、短期的に見ればリスクの方が多いですから。

文章書くのに時間はかかるし、わかりやすい内容じゃないから、なかなか伝わらないし、長いし…苦笑

この前もコンサルをお願いしてる人に、

「何がしたいのかよくわかんないです」

って言われましたからね。

それでも、楽しいから止めないし、興奮するから止めません笑

【具なしの仏跳牆と未来予測】

こんばんは、宮城です。

いきなり、意味がわからないタイトルで始まりましたが、今日は僕なりの未来予測をお話していきたいと思います。

 

人によっては希望の話だし、
人によっては絶望の話になります。

 

もちろん絶望と言っても、何も手に負えないような、どうしようもない絶望ではないのでご安心を。

 

まあなんでこんな話をしようと思ったかというと、1月の上旬にラスベガスで行われたCESという家電の見本市に知り合いが仕事で行ったという話を聞いたのと、最近ドキュメンタリーやニュースなどでロボットの話がよく出てくるので、僕なりの未来予想をしてみようかなと思った感じです。

 

ちなみに、僕としては今回する話の内容を感じた時は、「絶望が見えたので、希望に向かって歩くしかないな」というある種の開き直りができた感じです。

 

では、さっそく本題にいきましょう。

今回のタイトルを見ると
【具なしの仏跳牆と未来予測】

 

まあ、未来予測はわかるとして仏跳牆ってなんだ?って話ですよね。

仏跳牆(ファッチューチョン)とは、中華の高級スープです。「あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来る」が名前の由来となっています。

 

で、これが未来予測とどう関係あるか?ですよね。

仏跳牆って、干しアワビ、干し貝柱、フカヒレ、金華ハム、魚の浮き袋などなど、十数種類から数十種類の食材をツボに入れて、数時間〜数日、煮るまたは蒸して作るスープです。

 

つまり、いろんな食材の旨味が凝縮されて1杯のスープになるわけです。

 

入ってる食材や値段(1壺で10万とかするお店もあります)を知らずに、お店で出されたときにどんな反応をするのか?これが重要です。

 

「美味しいスープだね」で終わるのか?

「どんな食材が入っているんですか?」と尋ねたり、自分で考えたりするのか?

ソムリエのように、何かに例えたりするのか?

 

人によって、その反応はさまざまだと思います。

 

じゃあ、これを情報で考えてみてください。

 

「美味しい」で終わる人は、提供された情報にただ反応するだけの人。

 

調理法や食材を尋ねたり、考えたりする人は、与えられた情報の背景やコンテキストに思いを馳せることができる人。

 

ソムリエのように、何かに例え表現しようとする人は、与えられた情報を自分なりの解釈で表現しようとする人です。

 

 

では、未来に思いを巡らせていきましょう。

 

 

ロボットが発達し、単純作業であれば問題なくこなすことができるようになります。そうすると、人が行っていた労働がどんどんとロボットに置き換わります。

 

また、ビッグデータの活用により、最適化した答えを機械が導き出してくれるようになります。

 

実際にレシピを考え調理してくれるロボットなどの開発は進んでいます。

 

そうすると例えば

 

文章自動生成プログラムによって、企画書や営業メールが自動的に作成される。それを受け取った側は、膨大なビッグデータをもとに、そのサービスを受けるべきかどうかを判断します。

こんなことも考えられるのです。

 

そうすると、すべてデータのやり取りで完結してしまうので、営業マンが不要になります。

 

レストランの店員や、商業施設のスタッフも多くがロボットに変わるでしょう。(SFマンガとかにもそんな感じで描かれてますよね。)

 

つまり多くの人は現在の仕事を失います。

 

よく、これからは2極化の時代だ!なんて言われてますが、本質は収入に関することではないと僕は考えています。

 

技術やロボット、コンピュータの発達で生産性は大きく向上します。そして、バイオ技術の発達などにより、食料の生産に関しても大きな変化が生まれてくるでしょう。

 

そうすれば、仕事がほとんどない人でも、現在の派遣社員の平均レベルの生活はできるんじゃないか。そう思っています。

 

3度の食事が出来て、暖かい家に住み、新しい洋服も着ることができる。そんな生活が仕事がなくても実現してしまうのではないでしょうか。

 

一見、問題なさそうに見えますよね?

 

でも、よく考えてみてください。

仕事をしなくても、生活することができる。
朝から晩までネットをしたり、テレビを見ててもいい。

そんな生活本当に楽しいですか?

誰かに対して価値を提供しなくても、生きることができる。

誤解を恐れずに言えば、『生かされてる』状態ではないでしょうか。

 

これからの2極化は収入や生活の話ではなく、

「生産する人」
「消費する人」

の2極化なんじゃないかと僕は考えます。

 

生産する人はロボットやコンピュータでは生み出すことができない価値を生み出していきます。だから日々生きている実感を感じます。

 

一方、消費する人は、生存という意味で言えば脅かされることはないけど、生かされてる感覚のため、自分が生きているという実感がない。

 

そんな世の中になるんじゃないかと思います。

はっきり言って、僕にとっては絶望でしかありません。

 

生かされてることに価値を感じないから。

では、2極化していく世の中で、どんな人が
「生産する」側に入ることができるのか?

 

それは、自分の頭で考え表現できる人です。

 

最初の仏跳牆の話で言えば、
「美味しい」で終わっていてはダメということです。

 

もっと世の中に対して興味を持ち、自分なりに考え、自分なりの表現をしていく。

 

これが、今後人間らしい生き方をしていくために絶対に必要です。

 

コンピューターにできることは、過去のデータから最適な答えを生み出すことだけです。

 

成功のパターンが30パターンあったとしたら、今回の場合、どのパターンが成功の確率が高いのかを割り出すこと。

 

コンピューターでは31パターン目の成功例を生み出すことはできません。

 

31パターンの成功例、つまりイノベーションを起こせるのは人間だけです。与えられた情報に素直に反応するだけの人にはイノベーションを起こすことはできません。

 

与えられた情報の背景に隠れている本質を見つけ出し、今までの知識と組み合わせ新しい価値を生み出す。

 

数年以内にそんな世の中になることは無いと思うので、これからの未来、人として生きているという実感を感じるために、今から「知る」「考える」「伝える」この3つを今から意識してみてはどうですか?

 

今日は、以上です。
これはあくまで僕の予想する未来図ですので、内容に関する責任は一切取りません笑

 

ちなみに仏跳牆にあえて具なしと書いたのは、アワビとかフカヒレの具が入ってると、それに対して価値を感じてしまうので、純粋なスープのみでイメージしてもらいたかったんです。

【好きなことをすることと、自分らしくいること】

過去のFacebookの投稿で、
https://www.facebook.com/chaochao.joy/posts/353357421514438

“人は好きなことを仕事にしたいんじゃなくて、
自分が味わいたい感情を長く味わえると思って、
好きなことを仕事にする選択をしている。

だから、自分はどんな感情を味わいたいのかを考え、
それを味わえそうな仕事をしたらいいんじゃないか。”

 

というような話をしました。

 

基本的に今でもこの考えは正しいと思っていますが、
ここ数日、人と話しているうちにまた別の考えが出てきたのです。

今回はそれについて話します。

 

まず、

「好きなことをして生きていく」

「やりたいことをやって生きていく」

と考えた時に多くの人は

 

「職業」という大きな枠で考え始めます。

 

どんな仕事をしたいのか、と

 

この発想は非常に危険で、
その仕事をしていない自分= 幸せじゃない

と定義してしまうので、その仕事で結果を出すまでは常に幸せじゃないという感情がつきまとう可能性があります。

 

しかも職業という大きな枠は、網の目が荒いザルのようで、
「味わいたい感情」
「味わいたくない感情」

両方どんどんと通してしまうので、

 

結果的に好きな職業についているはずなのに、幸せじゃない人を生み出す可能性を内包しています。

 

 

次に、もっと細かい
好きな「行為」から自分の仕事について考える人。

 

これは、
文章を書くのが好き
人と話すのが好き
細かい作業をしているのが好き
お酒を飲むのが好き
音楽を聴いているのが好き

このようなことです。

 

昨日まで僕は、自分が好きなこと(行為)をやっているときに、
味わってる感情に気づき、その感情を味わえそうな仕事(提供出来る価値)を探せばいいんじゃないかと思ってました。

 

でも、今朝起きてぼーっと考えてるときに思ったんです。

 

【行為のレベルで考えても、まだザルの目は荒い】と
そう思ったんです。

すごく当たり前のことですが、

 

”人と話すのが好き”って言ったって、誰と話してても楽しいわけじゃないですよね?
“文章を書くのが好き”って言ったって、どんな文章を書いてるのも楽しいわけじゃない。

 

つまり、【行為自体に絶対的な好き嫌いは存在しないんです】

 

じゃあ、どうすればいいのか?

 

「行為」にフォーカスするのは変わりませんが、好きな行為だけではなく、嫌いな行為についてもフォーカスすることです。

 

そして、1つ2つなどの少ない数ではなく、10や20など、もっと大きな数で考えます。

 

例えば、

 

文章を書いているときに、
「楽しいと思う時はどんなときか?」

「嫌だなと思う時はどんなときか?」

 

勉強をしているときに
「楽しいと思う時はどんなときか?」

「嫌だなと思う時はどんなときか?」

 

人と話しているときに
「楽しいと思う時はどんなときか?」

「嫌だなと思う時はどんなときか?」

・・・・

 

このように両方の側面について考え、
それを複数の対象に行うと必ず共通点が見えて来ると思います。

たとえば、僕の場合は

「好奇心」と「集中」でした。

 

好奇心を感じるときは、何をしてても楽しいし、

集中しているときは、何をしてても嫌な感情は湧いてこない。

 

この共通点をあなたのセルフイメージの中心、つまり自分らしさの中心に位置付けてください。

 

そして、

 

あなたが、見つけた共通点は僕と違うかもしれませんし、
もしかしたら同じかもしれません。
どちらでもいいのですが、大切なのは、自分なりに定義をするということです。

 

僕の例で言うと、一般的に言われる「好奇心」「集中」の定義と違っていてもいい。

 

自分の感情の全てを言葉で表すことはできません。

だから、あなたにとってしっくりくる言葉で定義すればいいのです。

 

そして、日常行っている行為の1つ1つに対して、
どうすれば自分らしさを味わうことができるのか?

 

これを考え、毎日を過ごせば、

好きな職業についていなかったとしても、
好きな行為をできていなかったとしても、

充実した毎日を過ごしていけます。

 

その場所から、より多く好きな行為や好きな仕事ができるようになるための行動を起こしていけばいいんじゃないかと思います。

【本質を理解する方法】

こんばんは、宮城です。

今日は、本質を理解する方法と、僕のブログで目指していることについて
お話ししようと思っています。

早速、本題に行きましょう。

ノウハウやテクニック、知識を本当の意味で使いこなすには

「本質」を理解することが重要と言われています。

 

では、本質を理解するとは何か?

 

僕の中で本質を理解するとはすべての物事が「人生」という括りで考えられるようになることだと思っています。

 

ビジネスの話から、恋愛や人間関係の話をすることができたり、

映画や音楽を聴いて、ビジネスの話に変換することができる。
(映画ビジネスとか、音楽ビジネスの話ってわけじゃないですよ)

本質を理解するとは、こんな状態になるということです。

 

では、その本質を理解するにはどうすればいいのか?

 

 

僕の中では2種類の方法があると思っています。

 

1つは、1つのジャンルを徹底的に極めることで本質にたどり着くタイプ
職人タイプとでも言うのでしょうか?

イメージとしては、地面を掘り続けて地球を飛び出し、宇宙(本質)にたどり着く感じです。
ドキュメンタリーなどで、一流の方が自分の仕事の話をしているだけなのに人生で大切な教訓を語っているように聞こえるのはこれが理由だと僕は思っています。
もちろん1つのジャンルに特化して学習をしていれば、本質を理解していなかったとしても、

知識としては相当なものが蓄積されているので、仕事をする分には何も問題はないと思います。

しかし、その知識は他業種で応用できない。

 

よくスポーツ選手などが、選手としては一流であったとしても、指導者として一流とは限らない。

と言われるのは本質が理解できているかどうかがカギになっています。

 

2つ目は、幅広い知識や情報を基に全体を俯瞰して本質にたどり着く方法。
イメージとしては、広い空を見上げて、その先にある宇宙(本質)を理解するイメージです。

こちらはコンサルタントタイプとでも言えばいいでしょうか?(僕は翻訳家と呼んでますが)

 

本質がわかっているから、自分に関係ない業種でもビジネスのアドバイスをして成果をあげることができるし、極端な話、恋愛のアドバイスをすることもできる。

 

本質を理解する方法が2種類あるのはわかったと。

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では、2つのタイプのうち、どちらを目指していく方がいいのか?

重要なのはここですよね?

 

僕は、コンサルタントタイプだと思っています。

職人タイプを目指して本質を理解するには、相当な時間を要しますし、本当に一流と呼べるような人でないと難しいと思います。

一方コンサルタントタイプは、多ジャンルの情報をインプットし、考え、整理(アウトプット)することによってだんだんと形作られていきます。

 

いろんな人の具体的なアドバイスや悩みを聞いていても
「あれ、これとこれって同じこと言ってるよな?」って感じるような状態です。

 

一種のアハ体験です。

 

「あー、そういうことだったのか!!」と腑に落ちて気持ちよくなる状態。
この感覚は味わったことがありますよね?

 

これを繰り返していくことで、自分の成長を実感することができて、毎日が発見の連続で楽しくて仕方がない状態になります。

 

そして、いろいろな問題に関して解決策をすぐに見つけることができるようにもなります。

 

これを身につけると、どんなビジネスや仕事でも、ある程度の結果までは簡単に出せるようになると思います。

生活してるだけで、さまざまなアイディアが浮かび上がってくる。
これは本当に気持ちいいですよ。
「うわーヤバい!良いこと思いついた」って感覚が頻繁にやってきますから笑

もちろん、それを実行するには時間が必要ですから、全部を実行する必要はありません。

浮かんだアイディアの中で自分が興味を持つものだけやればいいんです。

 

何かを始める際に、「どうしよう、どうしよう」と頭を捻って必死にアイディアを出す必要がなくなるだけでも仕事に対するストレスは大きく減ると思いますよ。

 

僕の場合はこのことに気づいたきっかけはデザインのジャンルに触れたことでした。もともとコンサルタントとして仕事を始めたので、集客や経営に関する勉強ばっかりしていました。
そんな時に、友人からデザインに関する本をもらったんです。
正直、最初は
「別にデザインの仕事をするつもりもないしなー」
って読む気も起きなかったんです。

 

でも、人からもらったものだから読まなきゃいけないなと、半ばイヤイヤ読んだんです。

 

でも読み進めてるうちに
「あれ?これってコンサルタントの仕事で話すことと同じようなことを言ってるんじゃないか?」ってふと気づいたんです。
そこからは、その感覚が気持ち良くて、いろんなジャンルの情報をインプットするようになりました。

 

それを繰り返すうちに、マンガを読んでも、映画を見ても、音楽を聴いても、自分のビジネスに繋がるいろいろな考えやアイディアが湯水のごとに出てくるようになってきたんです。

 

そして、個人的に一番良かったのは、
仕事をしなきゃいけないのに、音楽を聴いてしまう自分に対する罪悪感がなくなったことですかね笑

 

「あーあ、仕事しないで音楽聴いちゃった・・・」って思ってたのも、アイディアが生まれてくるから仕事した気分になるんです。
(もちろん、やらなきゃいけない作業はしっかりやりますよ笑)

 

この感覚をあなたにも感じてもらえるように、

このブログでは、できる限り本質に迫った話をしようと思っています。わかりやすいように書いているつもりですが、どうしても抽象的な話になってしまうことが多いです。

 

だから理想を言えば、何度も何度も読み返して、自分の仕事や悩みなどと照らし合せて考えてみてください。そして、自分でもいろんなジャンルの情報に触れてみてください。

 

そうすれば、最初は理解できなかったものも、どんどんと理解できるようになってくると思います。

 

もちろん、納得できなかったことや、理解できなかったことは質問していただければ、別の言い方で説明をしたいと思っています。

 
本当は、ブログを使って自分の仕事につなげるには、ターゲットを絞って、より具体的なテクニックやノウハウをお話しした方が、理解してもらいやすいし、価値を感じてもらえるのは理解しています。

それを知っていながら、できる限り本質を語ろうとしているのには理由があります。

僕がやりたい企画の1つとして、
ハッカソンがあります。

 

ハッカソンとは、「ハック」と「マラソン」を組み合わせた造語で、プログラマーたちが複数人でチームを組み、アイディアを出し合い、プレゼンテーションまでを制限時間の中で行うイベントです。

 

一般的にハッカソンは、プログラマーやデザイナーなど関連性の高い業種の人たちが介して行われるものですが、これをジャンルを特定せずに行いたい。

というのが僕が今後実現したい企画です。

 

ミュージシャンとプログラマーとスタイリストがチームを組んだり、

美容師とWebデザイナー、写真家がチームを組んだり

 

異業種の人たちで何か新しいものを生み出して、

「うわ!すげー」「いいじゃん!これ!!」みたいに驚いてハシャギたいんです笑 (カフェダイニングとかを貸し切って、お酒を飲みながら出来たら最高ですよね)

 

その際に大きな壁となるのが、それぞれの業界にある、文化や文法です。
おそらく、ただこのイベントを実施したら、言い争いがそこらじゅうで起きるでしょう。それこそ最悪のイベントになってしまうと思います。

 

だから、その文化や文法の違いを超えて理解しあうために、本質について語っているのです。この考えを理解できる人だけに集まってもらってイベントを実施する。

 

そして、その模様をyoutubeなどで公開すれば、それを見て、面白そうと感じてくれた人が、参加をするために、本質を考えることを初めてくれる。

そういう循環を続けていけば、世の中はもっと興奮に満ち溢れた面白い場所になると思います。

 

だから、このブログでは、あえて理解されないことが多いことを知っていながら特定のジャンルの情報ではなく本質について話をしようと思っているのです。

 

もちろん僕も全ての本質を理解しているわけではありません。日々新しい学びはあります。

 

でも、本質を理解しようという意識になれば全てのことが学びになります。

他人を自分とは違うから。と拒絶する必要もなくなるのです。

ある意味どんな状態でもハッピーです笑

 

いつか、このブログを読んでくれているあなたとも、一緒に面白いものを生み出せたらなと思ってます。

 

後半は、個人的な思いを語ってしまいましたが、今日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

質問や感想などがあれば、
info@kota3846.jp
もしくは、下のコメント入力欄に入力してくださいね。

心地よさとは

こんばんは、宮城です。

いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。

 

今日は、クライアントや友人や恋人と長期的な関係を築くために重要な要素である『心地よさ』について僕なりの考えを話していきたいと思います。

 

前回の投稿が長文だったので、それに比べれば今回は短くなるはずです。(これを打っている段階での予想ですが・・・笑)

 

前置きが長くなるといけないので、早速本題に進んでいきましょう。

 

心地よさとは。
辞書で調べると快適さや快楽を感じるさま。と書いてありました。

 

別の言い方をするのであれば、安らげるとか、安心できる。ってことでしょうか。

どちらかと言うと後者の方が一般的に抱くイメージに近いと思いますし、僕もそういうイメージを持ってます。

 

過去の投稿などで、異物を取り入れていくことが重要と話しているので、心地よさについて語ると違和感を感じる人もいるかもしれませんが、もちろん語る理由はあります。

 

考えてみてください。

24時間、365日異物を取り込んでいたら気が狂いますよね?苦笑

 

僕の投稿を読む場合、短くて数分、その後真剣に考えたとしても数時間が異物として影響を与えられる時間だと思います。

 

つまり異物と接している時間以外は、すべて昨日と似たような日常を過ごしています。

 

同じベッドから起きて、同じ電車に乗って、同じ会社で同じ仕事をして、同じ人と会話して、同じ家に帰り同じように寝る。

このような感じで日常がベースとしてあって、その中に非日常つまり異物がある。

そのように毎日を過ごしています。

その日常の部分に重要なのが心地よさなのです。

長期的な信頼関係や人間関係を続けるには、相手にとって心地よい存在になる必要があるのです。

では、心地よさを感じてもらうために必要なのは、

 

「テンポ」と「リズム(間)」です。

 

よく漫才やコントなどのお笑いで重要だと言われるポイントですね。

 

僕はお笑いも好きなのでよく見たりしますが、今回はお笑いを見てこのことに気づいたわけではありません。はっきり言うと後付けで考えました。笑

 

今回この心地よさについて考えたきっかけは音楽でした。

 

僕は、音楽によって人生が救われたと本気で思ってるくらい音楽が好きなのですが、家にある1000枚以上のCDを見て、

 

「長く聴くCDと数回しか聴かないCDの違いは何なのか?」と

 

もちろん、趣味の世界ですからジャンルによる好みの違いはあるでしょう。

 

でも、よくよく考えてみるとジャンルを分ける要素も「テンポ(間)」や「リズム」なのです。

 

テレビなどで中年の方やお年寄りの方が

「最近の音楽は何がいいのかわからない」

こんなことを言っているのをあなたも聞いたことがあるかもしれません。

 

これも自分たちが心地いいと思っている「間」や「リズム」と合わない。

つまり心地よくないから何がいいのかわからないのです。

最近の日本の音楽は非日常の世界を描こうとしているのか、テンポが早く音が詰まっていて余白がありません。

聞いてて楽しくなったり興奮したりするけれど、心地よくないのです。

 

音楽は演奏するものではなく、聴くものとなっているから、曲で完結してしまっているのかもしれません。

つまり聴き手が入る余白がないのです。

一方で、ブルースやソウルなどのルーツミュージックというものは、その国や社会、環境が生み出した音楽です。

その土地や人々の空気感が伝わってきます。

そして、そういった多くのルーツミュージックは「テンポ」や「リズム」に余白があります。

 

もちろん、機材や技術の関係で多重録音ができなかったという理由も多分にありますが。
(音楽の多重録音は1940年代にレス・ポールが始めたのが最初です)

その余白が生み出す一定の間やリズムが心地いいのです。

 

最初に「テンポ」や「リズム(間)」の話をしたときにお笑いで重要と話しましたが、お笑いでは、そのテンポやリズム(間)に落差を作りだすことで、笑いに変えています。

笑う瞬間というのはある意味、非日常なわけです。

ということは逆を考えればいい。

つまり、落差がなければ心地いいのです。

 

そして落差を生まないためには、お互いに歩みよる姿勢、相手のことを考えることが必要なのです。

結果的には、相手のことを考えるというすごく当然の結論に落ち着くのですが・・・苦笑

「テンポ」と「リズム(間)」の視点で考えるとよりそのことが理解できるのではないでしょうか。

人は日々変化してますから、刻むテンポも日々変わっていきます。

これは個人の価値観によりますが、一方だけが無理して合わせてるといい関係は作れないと思います。

 

セロリの歌詞にもありましたよね
”Mm…がんばってみるよ やれるだけ
Mm…がんばってみてよ 少しだけ”

って。

だから相手が自分と違うリズムを刻んでる。そしてそのリズムを合わせることはもう出来ないと思ったときは離れるタイミングなのかもしれませんね。

今日は、以上です。
あなたなりに今日の投稿で感じたことを考えてみてくれると嬉しいです。

そして、欲を言うなら、いろんな音楽を聴いてみてその違いを感じてみてください。

最適化は劣化の始まり

こんばんは、宮城です。

よくビジネスや作業は最適化させた方がいい。効率化させたほうが良いと言いますが。

実は、最適化は劣化の始まりなんです。

これは人生についても同じことが言えるので、

今日は、そのことについて話させていただきたいと思います。

最初に言っておきます。
今日は長いですw
いつも以上に長いです。
なので、PDFとepub版も用意しました。

じっくり読みたい人は
こちらから

PDF
http://kota3846.jp/ts/saitekika

epbu
http://kota3846.jp/ts/0109sai 

では、早速本題です。

まずは、最適化とは何か。

 

最適化とは、無駄を削ぎ落として最も適した状態にすること。

 

読んで字のごとくですよね。

別の言い方で説明するなら

 

自分の持っている情報の中からコンテキスト(文脈・背景情報)などを排除し
重要な要素のみを抜き出すこと。

とも言えます。

 

そして、人を含め生物は常に最適化を繰り返しながら歴史を繰り返しています。

そして環境に適用できない種は滅んでいく。ダーウィンの進化論の一部を抜き出すとこんな感じになるんでしょうか。

 

では、なぜ環境に適用できなかった種は滅んでいくのに、最適化は劣化の始まりなのか?

 

繰り返しになりますが、最適化とは、

「無駄を削ぎ落として最も適した状態にすること」

「自分の持っている情報の中からコンテキスト(文脈・背景情報)などを排除し
重要な要素のみを抜き出すこと」

です。

 

じゃあ、誰にとって最適化なのか?

もちろん、僕であり、この文章を読んでいるあなた自身です。

 

先ほど、僕は

~~~~~~~~

そして、人を含め生物は常に最適化を繰り返しながら歴史を繰り返しています。
そして環境に適用できない種は滅んでいく。ダーウィンの進化論の一部を抜き出すとこんな感じになるんでしょうか。

~~~~~~~~

と説明をしました。

 

ダーウィンは自分の説を語るために、それこそ数千・数万の情報や思考を繰り返し、圧縮して進化論という「1」つの説にしました。

言ってみれば僕はその上澄みも上澄み、それこそ「0.001」くらいの情報を抜き出してダーウィンの進化論を語ったわけです。

 

実際に、ダーウィンの著書は『種の起源』を少し読んだことがあるだけで、あとはこれを書く前にWikipediaやネットで少し調べたくらいです。

 

つまりこの発言には厚みも深みも全くない。むしろ語る資格さえないのかもしれません。

 

でも、なぜかそれなりに語れてるような印象を与えることができるのです。

 

これが最適化の恐いところで、
何となくわかったつもりになってしまう。

 

そして、同時に読んだ相手にも何となく理解されてしまう。

たとえば、僕が恋愛テクニックについて、今までの経験から判断した最適化された考えを語ったとします。

(まあ、実際にそこまで経験も無いですし、具体的な恋愛テクニックを語ることは無いですが・・・)

 

僕の中で最適化された答え「1」を語ります。

そして読み手である、あなたがその内の「0.8」理解したとします。

もし、あなたが僕の意見が正しいと全面的に受け入れてしまったら。

 

あなたの恋愛テクニックの「1」が僕にとっての0.8のと同じになってしまうのです。

もちろん、今までが0.3とかであれば、成長したようには見えると思いますが、
上限が0.8で止まってしまうのです。

 

これが仕事や人間関係など、人生のさまざまな部分で同じようなことがおきたらどうなるでしょうか。どんどん最適化をすることによって先ほどの例と同じように

あなたの「1」が実は僕にとっての0.8になるようなことが全ての分野で起こるのです。

 

人生の質が総合力で決まるとするのであれば、

その総合力、別の言い方をするのであれば未来への可能性が最適化をすることによって、どんどん低下していくのです。

 

なんとなく伝わりましたか?

 

ここまでの説明がちょっと抽象的だったかもしれないので、

もっと具体的な例を出してみましょう。

 

たとえば、

この方法で月収100万円稼げます!というノウハウがあったとします。

そもそも100万円も稼げないのに、騙すつもりで月収100万を謳っているものは論外なのでここでは無視します。

そのノウハウの製作者は、自分が失敗や試行錯誤を繰り返してきた経験から重要だと思うところを抜き出してノウハウを作成します。

 

ダーウィンの話で説明したのと同じ、圧縮して「1」にする作業ですね。

そして、そのノウハウを販売します。

買った人は、
「よし、これで月収100万円稼ぐぞ!!」と気合を入れてノウハウを実践しますが、

 

多くの人はノウハウの上澄みしかすくえないので月収100万円という結果が出ないのです。

 

人によっては「50万円」、他の人は「1万円」しか稼げないかもしれません。

 

自分の中で「たぶん、こうだろう」と最適化をした行動を取っていることが原因です。

 

会社のマニュアルを新人に渡してその通りに行動するように指示をしてもミスが発生してしまうのも同じ理由です。

 

教科書や参考書の詰め込みによる、点数至上主義の教育はこの原因を生んでいるに元凶だと思っています。

 

みんな正解を探してしまう。

そして、勝手にこれが正解だと最適化してしまう。

これが劣化の始まりです。

 

どうでしょうか。さっきよりは伝わりましたか?

 

最適化が劣化の始まりなのはわかったとしても、

人は最適化をして生きていくもので、最適化することを止めることはできない。

 

じゃあ、どうすればいいのか?
解決策を提示することなく、

「最適化は劣化です。でも、生物は最適化をやめることはできません」

これで終わったら絶望しか残りませんよね笑

 

もちろん僕なりの解決策はあります。

 

ヒントは職人の師弟制度にあります。

 

現代の師弟制度がどうなっているか、詳しくは知りませんが、ドラマや映画など物語の世界に出てくる師匠は、弟子に細かいことは教えませんよね?

「勝手に盗め!」と。

師匠は背中で語り
弟子はそれを必死に盗む

 

するとどうなるのか。

弟子には最適化されていない情報が日々入ってきます。

それを見て学んで、試して修正する。

そんな繰り返しをすることで、弟子自らが最適化をしていきます。

 

最適化された情報の最適化。つまり劣化された情報ではなく、

自らがオリジナルの情報から最適化をしていく。

もちろんその過程は楽なものではないでしょう。

だけど、その結果、師弟制度を取り入れている伝統工芸は長く一流の物を作りつづけ生き残っているのです。

 

つまり、最適化した情報に触れるのではなく、なるべく一次情報、オリジナルの情報に触れるようにすること。

最適化されていないその情報に触れることで、自分の頭をフル活用して自分なりの答えを見つけるようになるのです。

 

僕の職業の1つであるコンサルタントで言えば、正解を教えるのではなく、自ら答えを見つけるための情報や多くの事例を見せる。そして思考を促す。

これが重要なことだと僕自身は思っています。

答えを教えて、短期的に結果が出たとしても、コンサル契約が終わった途端に効果が激減してしまいます。

 

もちろん全ての事象に関してオリジナルの情報に触れることができるわけではありませんし、時間や金銭的な制約ももちろんあります。

できる限り、オリジナルの情報に触れ続けていただきたいのですが、それが難しいこともあるでしょう。

 

その場合はどうすればいいのか?

それは

 

できるだけ異物を取り込むということです。

 

わかりやすく言えば、自分の知らない情報や自分の興味がない情報にも積極的に触れるということです。

 

たとえば、自己啓発書が好きで何冊、何十冊と読んでいる人が多くいます。

 

絶対にダメというわけではもちろんありませんが、同じようなジャンルを学び続けると、どんどんと最適化が加速されるのです。

 

本を読んでいると、自分の中で納得できることと、納得できないことが出てきますよね?

 

同じジャンルの本を読み続けると、納得出来る部分がどんどん強化され

「いろんな本に書いてあったし、これが正しいんだ」と勝手に判断してしまうのです。

たまにしか出てこないものや、自分が納得できないものは排除してしまう。

いろんな本の上澄みつまり「1」に満たない情報ばかりを掛け合わせることになるのです。

1未満の数字どうしをかけ算していくと、どんどん数字が少なくなっていくのは知ってますよね?

これが最適化の劣化です。

 

しかし、自分の知らない情報や興味のない情報。

つまり異物をどんどんと取り込んでいくと、最適化とリセットが繰り返されるわけです。

 

最適化した情報に異物が取り込まれ、最適化されていたものが崩される→そして、また最適化を始める

 

この繰り返しです。

 

そうすることで、誰かの最適化の最適化ではない、自分独自の最適化が生まれ続けるのです。

 

別の言い方をすれば「自分なりの真理」とでも言うのでしょうか。

これが自分らしい人生を生きる唯一の方法だと思います。

 

常に最適化とリセットを繰り返すから、
好きな物や好きな人のタイプなどはどんどんと変化していきます。

それでいいのです。

常に新しい自分にとって望むものを追求していくことが、人生を楽しく生きる方法だと思います。

 

最適化は劣化の始まり。

 

それを防ぐには自分なりの答えを探し続けるしかない。そのために効果的なのは、

・最適化されてないオリジナルな情報に触れる。

・常に異物を取り込むようにする

この2つです。自分なりにこの投稿を読んで思ったことなどを考えてくれると、自分なりの真理に近づきます。

 

今日は以上です。

 

僕の投稿もできるだけ消化の悪いような異物になるように書いています。

自己啓発書を読んで、自己啓発書に書いてあるような内容を投稿しても異物にはならないし、

マーケティングに関する本を読んで、マーケティングを語っても異物にはなりません。

音楽を聴いて、ビジネスについて考える。

ビジネスから恋愛を考える。

そういう一見別のものから異物を生み出していきます。

僕は今回の投稿を書くきっかけになったのは、ミュージシャンの対談記事です。

その記事はこちら
http://realsound.jp/2015/01/post-2186.html

この記事を今朝読んで、そこから思考を広げてこの投稿になりました。

僕も最適化とリセットを続けているので、考えている内容は常に変わります。

 

この投稿も、書いている当日、自分が正しいと思っていることを書いているだけです。

明日には変わっているかもしれないし、人の意見を聞いて変わるかもしれない。

 

だから、どんどん感想や質問、反論を含めて意見をくれると嬉しいです。

info@kota3846.jpにメールをくれるか、
下のコメントフォームにぜひコメントをください。

 

これからもできる限り読みやすく、あなたにとって異物となるような投稿を続けていきたいと思います。

自分の知的好奇心も、あなたの知的好奇心も揺さぶり続けたい。そして好奇心を掻き立てる企画をどんどん考えていきます。

 

「昔の自分みたいな人を救いたい」とか
「できる限り多くの人を幸せにしたい」のような人に偉そうに語れる、夢や目標なんて僕にはありません。

いろんな異物と出会って、興奮して生きていきたい。

「これやばくない?」って興奮してニヤけるような毎日を過ごしたい。ただそれだけです。

しいて言うなら、僕を好きでいてくれる人、このブログを読んでくれる人にとっての「近所の兄ちゃん」「親戚の兄ちゃん」でいたい。

 

自分の知らない世界を見せてくれる存在で、成長と共に少しづつ別の道を歩いていく。

そんな存在でいいのかなと思ってます。

去る者は追いませんが、そばにいてくれる間はよろしくお願いします。笑

 

ポジティブ思考ウイルス

こんばんは、宮城です。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

毎回の投稿が1500文字を超えてるにもかかわらず、しっかり読んでくれてる方には本当に感謝しています。できる限り読みやすくわかりやすく書いてるつもりですので、今後もお読みいただけると嬉しいです。

 

では、さっそく今日はポジティブ思考ウイルスというテーマで話します。

 

自己啓発ブームや引き寄せの法則ブームなどで、ポジティブ思考が広く知られ、基本的にはポジティブ思考で考えることがいい。という考えが一般的に広まっています。

 

しかし、一方ポジティブに考えてるのに幸せになれない人も多くいます。

 

その人たちが抱いている誤解、ポジティブ思考が生んだウイルスについて僕なりの見解を話していきたいと思います。

 

 

では、いきなり質問です。

 

 

机の上のコップには水が半分あります。

あなたは「水が半分もある」と感じますか?
それとも「水が半分しかない」と感じますか?

 

よく自己啓発書に書いてある有名な質問ですよね?

 

そして、「水が半分もある」と考えた人はポジティブ思考
「水が半分しかない」と考える人はネガティブ思考と。

 

同じ出来事を見ても、ネガティブに捉えるよりもポジティブに捉えた方がいい。

 

発展系として、

 

ネガティブな思考が頭に浮かんできたら、すぐにポジティブなものに意識を向けなさい。とか

全ての出来事に感謝をして日々過ごしなさい。なんてのもありますね。

 

多くの自己啓発書に書いてあるポジティブ思考をざっくりと説明するとこんな解釈になると思います。

 

ここにウイルスが。つまり誤解をしやすいポイントがあります。

 

それは何かというと、

「ポジティブ思考は現状を受け入れた上で、初めて意味をなす」ということです。

 

 

多くの人は。この点を理解していないから、

 

ポジティブ思考 = 都合の良いように考える

 

となっているのです。

 

 

「ポジティブ思考」と「安易な思考」言い換えれば能天気を混同してしまっている状態です。

 

そもそもpositiveという単語は

 

「明白な」とか「はっきりした」という意味を持つ単語です。(もちろん「上向き」という意味もあります)

決して「良い」つまりGoodという意味ではありません。

 

多くの人のポジティブはどちらかというとGoodの意味で使われています。

説明や理解が中途半端だから誤解が生まれるのです。

 

また、ポジティブシンキングを日本語にすると「前向きな思考」となりますが、前を向くには『自分のいる場所(現状)』と『望む方向(願望)』をしっかり把握しなければいけません。

 

たとえば、
拉致された人が日本のどこかで解放され、どこにいるかもわからない状態で東京に行け。って言われてもどっちにいったらいいかわからないですよね。

東京に行くためには、いま自分がどこにいて、東京がどっちの方向なのかを知らないといけません。

つまり、現状を認めた上で、望む方向に進む

これが本当のポジティブシンキングなのです。

 

先ほどのコップの水の例で言えば、
【水はコップの半分ある】という事実は変わりません。

 

それを認めた上で、どういう自分が望む結果にたどり着くためにどういった判断を下すかが重要なのです。

たとえば、
【コップに半分も水がある】と考えたからといって

自分は喉が渇いてるにもかかわらず、

「わーい!半分も水があるからお花に水をあげよう〜」

って行動をしたら完全に頭がオカシイ人です。

自分の喉の渇きを潤せよとツッコミたくなりますよね。苦笑

 

でも、結構多くの人ってこういう行動してるんですよ。

 

たとえば、旅行するために貯金をしたいって目標があるのに、

「給料入って、これくらいお金あるから、今日は贅沢しよう!!」とか
財布に2万円入ってるからって、別に欲しかったわけでもないマンガを買って、月末の生活が苦しくなったり。

 

よく考えてみれば程度の違いはあるにしろ同じですよね?

 

鳥のう◯ちが服について、「よし運がいい!」って考えて自分からさらに当たりに行ったらバカだし、

人に殴られたのに、「きっと自分が悪いんだ。教えてくれてありがとう」と笑顔だった気持ち悪いですよね

 

ムカつくときはムカつくし、
テンションが上がらないときは、上がらない。
不安なときは不安なんです。

 

それをしっかりと認めて受け入れる。

 

その上で、ここからどうすればいいのか。

自分の望む方向に進むためにはどうすればいいのかを考え、必要であれば行動する。

 

これしか自分の人生を自由に生きる方法はありません。

 

何も考えず、何事にもただポジティブで感謝してれば幸せになれるなら、FacebookなどのSNSに存在する、あいさつおじさんなんかは世界一幸せな人種だと思いますよ。

 

世界中の知らない人たちに向けて感謝してるんですから。

でも、客観的にみたらそんなわけはない。(きっと本人たちもそう思ってるとは思いますが・・・)

 

せっかくここまで読んでくれたのであれば、

「現状をしっかり認めた上で、望む未来に向けた考えや行動をする」

という正しいポジティブ思考をして、自分の人生を自由に生きてくださいね。