【リスクを楽しめ】

こんばんは、宮城です。

今週、高校サッカーの決勝を観てきました。

 

IMG_1518
いやーサッカーはやっぱり観てると興奮してきますね。

 

実は、この文章はノートパソコンを使って試合の会場で書いてます。

周りからみるとサッカーメディアなどの記者だと思われてるかもしれませんね笑

 

ただ、めちゃくちゃ手が冷たいので、すごく入力が遅くてイライラしてます苦笑

 

書きたいこともあって、文章も頭に浮かんでいるのに手がついてこない。

きっと文章の最後の方は自宅やカフェなど温かいところで書いてると思います。

 

と、余計な話はここまでにして、早速本題に行きましょう。

 

 

今日は、リスクについてのお話です。

 

 

リスクについて、すごく重要なことを木坂健宣さんというマーケターが言ってたんですが、

 

 

“多くの人は「危険」と「リスク」の区別がついていない”

と、

これは個人的にすごく腑に落ちるところだったのでそのことについて話していきます。

 

 

サッカー場でこのことを書いているのにも、ちゃんと意味があるんで安心してください。

 

別に記者風な感じを装いたいわけじゃないですから笑

 

 

まず、「危険」と「リスク」の違いを説明しないといけませんね。

 

僕の中の定義では危険を別の言葉で言い換えると「ピンチ」です。

だから「ピンチ」と「リスク」の区別で考えると理解しやすいかもしれません。

 

例えば、サッカーで相手の選手2名がボールを持って自分のゴールに向かってきたとします。

そして自分のチームは1人の選手とゴールキーパーしかいない状況です。

いわゆる、失点のピンチです。

 

この時に取れる判断としては、

・相手選手のボールを奪いにいく

・一定の距離を保ちながら、相手の動きを遅らせて、味方選手が戻って来る時間を稼ぐ

・相手がもう1人の選手にパスを出すことを予想して、オフサイドトラップをしかける(わからなければ無視していいです)

こんな選択肢があります。

画像のキャプテン翼のゲームみたいな感じです笑

01280

複数の選択肢がある状態。

この中から何か1つを選択しますよね?

 

ピンチを回避するために、ボールを奪いに行くという選択をした場合は

 

「抜かれる」というリスク
「もう1人にパスを出される」というリスクが増えます。

 

味方が戻る時間を稼ぐために、一定距離を保つという選択をしたとします。

この場合は、

相手がどんどんゴールに近づくわけですから、「シュートが決まりやすくなる」というリスクが増加するのです。

 

これはどの選択をしたとしても同じです。
ピンチを回避するために取った選択は、新たなリスクを増加させます。

 

実はこれは「チャンス」のときにも同じことが言えます。

 

またサッカーで例えますが、
先ほどとは、逆の立場、攻撃側で考えてみましょう。

 

得点する確率を高めるにはできる限り、ゴールに近づけばいいことはイメージできますよね?

 

しかし、ドリブルでゴールに近づく、つまり「チャンス」をものにする確率を高めようとすれば、それに伴い相手にボールを取られるリスクが時間と共に増加します。

 

逆にそのリスクを避けるために、早くシュートを打てば、キーパーが防いだり、ゴールの枠から外れたりと得点できる確率を下げるわけです。

 

つまり、
「ピンチ」「チャンス」と「リスク」常に相関関係にあるということです。

 

大きなピンチを回避するためには、大きなリスクを伴うし、

 

大きなチャンスをものにするためには、大きなリスクを伴う。

 

これは避けられないことです。

 

恋人を作るためには、告白して断られるリスクを背負わなければいけない。

 

自分の好きなことをして生き続けるためには、孤独になるリスクを背負わなければいけない。

 

病気を治すためには、副作用がある薬を飲むというリスクを背負わなければいけない。

 

この相関関係については何となく理解していただけたでしょうか?

 

でも、これだけだと、今回のタイトルである

「リスクを楽しめ」というのはイマイチ腑に落ちませんよね?

大きなチャンスや大きなピンチを作らなければ、リスク自体も小さくて済むじゃないかと。

 

ここからは、僕の仮説なのですが、

よく
“人生は良いことと、悪いこと、トータルでプラスマイナスゼロになる”

とか

“人生の運の総量は決まっている”

みたいなことが言われてたりしますよね?

 

これに対して僕はずっと疑問を持っているんです。

 

だって、運のいい人は常に運がいいように見えるし、運が悪そうな人はずっと運が悪いように見えますから。

 

絶対に50:50ではない。

 

で、ここで僕の仮説なんですが、決まってるのは運の総量ではなく、

“リスクの総量”なんじゃないかと。

 

『人生万事塞翁が馬』じゃないですが、人生という長い時間軸で考えた場合、リスクの総量はどの選択をしても同じなんじゃないかと。

 

たとえば、
好きな人に告白して、それがうまくいった場合。

短い時間軸で考えると一見、良いことだけのように思いますが、

『異性の友達と気軽に遊びに行けない』

『自分の時間が減る』

『あまり乗り気じゃない場所にもデートで行かなきゃいけない』

などなど、長期的に見れば、さまざまなリスクを抱えてるわけです。

 

他にも
第一志望の一流企業に就職できた場合

『優秀な社員が多いから、自分がいつかリストラされるかもしれない』

『馬車馬のように働かされるかもしれない』

『希望の部署に配属されないかもしれない』

などのリスクを抱えます。

 

逆に、人生最悪の経験だと思ってたことが、自分の人生を良い方向に変えるきっかけになった。ってこともよくありますよね。

 

つまり、短い時間軸で考えると、1つの選択に対してリスクの高低や「良い」「悪い」の判断はしやすいけど、長い時間軸で考えると、実は「良い」も「悪い」も存在しない。

 

となれば、短い時間軸でどちらが失敗の可能性が低いのか、安全策を選択するのは、必ずも最善の策ではないのです。

よくドラマなどで、リスクの低い、安全策の選択をして生きてきた人。いわゆる普通の生活を過ごしてきた人が死ぬ時にチャレンジをしてこなかったシーンなどが描かれますよね?

それと同じです。

 

一見リスクが高かったとしても、自分が真剣になれる方を選択すればうまくいく場合は多いです。

 

重要なのは選択ではなく、選択した後、『どのような結果を掴み取るか』ですから。

 

極端な話を言えば、どんな選択をしても、無理やり正解に持っていけばいいわけです。

 

もちろん、選択をした後、できる限りリスクを回避するための準備や行動は必要ですよ‼︎

でも、もし人生という時間軸で考えるとリスクの総量が変わらないとするならば、人生の中にあるリスクというダンスミュージックを楽しんで終わればいい!

“リスクを楽しめ”
“リスクに興奮しろ”

そんな感じで生きればいいと思います。

今日は以上です。

僕のこの行動だって、短期的に見ればリスクの方が多いですから。

文章書くのに時間はかかるし、わかりやすい内容じゃないから、なかなか伝わらないし、長いし…苦笑

この前もコンサルをお願いしてる人に、

「何がしたいのかよくわかんないです」

って言われましたからね。

それでも、楽しいから止めないし、興奮するから止めません笑

コメントを残す